秋と私
登録有形文化財である大学の本館が改修工事されていて、建物全体が薄黒い幕に覆われている。本館含む大学の景観が大好きなので少し悲しいけれど、大好きだからこそ本館には是非長生きしてもらいたい。そういえば、本館の入り口の前には大きな金木犀の木が植えられていて、この時期になるとSNSで「金木犀の匂いがして秋を感じる」などという声が聞こえることを思い出す。私は秋が大好きなのに、金木犀の匂いを感じたことがないな、それも毎年・・・
私にとって、秋と言えば秋空で、からっと晴れた雲一つない秋の空が大好きだ。夏は日差しが強すぎて常時日傘を差しているし、冬は寒すぎて下を向いて歩いているし、春は土やほこりなどの粒子が空に舞い上がっているらしい。秋の心地よい気温と、夏終わりの台風明けの快晴がより秋空の良さを引き出していると思う。
私って、いわゆるINFJ-Tをそのまま表したような性格をしている。頭の中で考えていることはたくさんあるし、文字に起こす言語化をよくするし、文字に起こすと自分が言いたいこと、思っていることがすらすら出てくる、楽しい。
自分のコミュニケーションに過剰に自信がある人が大嫌いだ。相手がなかなか笑ってくれないことも、自分の話をしてくれないことも、私なら自分の技量不足だ、、、と思うし、表に自分を出さない人でも頭の中はぐるぐるして言語化できない思いがたくさんあるのかもしれないじゃないか。そういったものを想像できずに、話さないことを責めてくる人がいる、言語化が得意なだけで見下してくる人がいる、最悪だ、生きづらい。思考を、簡単なままでも、まだできあがってなくても発言に変換して、コミュニケーションが円滑に取れなければやっていけない、こんな世界、消えちゃえばいいのになー。
頭と喉が管で繋がっていると考えて、思考がその管の中を伝って発言されるのだとしたら、私のその装置は常にうまく機能していない。管は喉に近づくにつれて細く流れが悪くなっていって、大量の思考が喉の近くで押し合って、結局どの思考も上手く発言として認識されない、みたいな感覚。加えて、他人と会話していると相手の話の理解に必死になって、自分の考えが入り込む余地がない。それくらいちゃんと聞いて理解しようと努めているということだと思うけれど、テンポのいい会話においてそんなこと求められてないんだよね、思ってないけどごめんね。
こうやって、苦手な人との会話で会話自体が嫌いになって、人間と疎遠になっていしまうのは本当にもったいないし悔しい、だけど怖い、コミュニケーションについて言及されることって私にとっては人格否定と同じような効果をもたらす、でもやっぱ、そんなものに負けたくないんだよー、ほんとに。どうしたらもっとすらすらと言葉がでてくるんだろう、話題提供できるんだろう、自分の話できるんだろう、話題を膨らませられるんだろう、わからない、実際にそれができてないのかもわからない、こんなの相対評価でしかない。
私のこと、その他の点で良さを見つけて引き出してくれて伝えてくれる人間が大好きです、会話の内容なんかじゃなくて、一緒にいることに価値を感じてくれる人、会いたいからって理由だけでも会ってくれる人、いつもありがとう。
とりあえず、自分のコミュニケーションに過剰に自信がある人は秋の花粉で3秒に一回くしゃみしてればいいと思う。
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