表現すること、残すこと
「カラオケ行こ!」を見て綾野剛の魅力に気づき、「MIU404」を見て完全に沼にはまった。静止画の綾野剛には正直全く惹かれていなかったし、全くタイプではないと思っていたけれど、喋って動いて笑う綾野剛を見たらこれでもかというくらい惹かれてしまって本当に驚いている。綾野剛は現在42歳だが、30代前半の綾野剛の写真を見て仰天した。あまりにもかっこよすぎる。なぜ私はずっとこの人の魅力に気が付かなかったのだろう。
試験が終わってから、私は今までの常識不足を補うようにドラマや映画を見漁った。ドラマや映画を見て、自分ではない他の人物に感情移入することが増えた結果、自分自身の人生に興味がなくなった。今まで私が見ていた世界とは比べ物にならないほど世界が広がったような気がした。試験が終わって、容姿のことで悩んで、こんな容姿なら生まれてこなかった方がましだったと思ってしまう夜が何回も何回もあった。だけど、そんなことどうでもよくなるくらい、世界は広いんだということを思い知った。
綾野剛がイケメンなのは真実だけど、私が惹かれたのは綾野剛の演技力の高さだと思う。「カラオケ行こ!」のヤクザ役(狂児)、「MIU404」の警察役(伊吹)、どちらもチャラい感じの役だったが、その後見た「地面師たち」では冷静で大人びた地面師の役(拓海)。本当の綾野剛はどんな人間なのか、作品を通してしか綾野剛を見ていない私には何も分からない。だけど、インタビュー映像などの役外の綾野剛を見ていると、少なくとも伊吹のようなチャラくて言語化が苦手で野生の勘で動くような人物ではない気がする。伊吹から拓海まで幅広い役を演じてしまえるというのは、自己表現が苦手な私からしたら本当に信じられないことだ。
作品はずっと残る。街も人も、この世に存在するものは変わってしまうものばかりだけれど、作品や記録はずっと変わらずに残る。伝承される限り、後世に残っていくし、変わらないまま時代を超えて様々な人の目に留まる。私が綾野剛の魅力に気が付くように、この世には綾野剛の存在を知って、魅力に気づいて応援している人はたくさんいる。私は、綾野剛に認知されることはないし、影響を与えられる範囲なんてちっぽけだ。
多くの人に知られて、人前に出続けるということは、その分リスクも大きい。本人には辛い時期がたくさんあったと思うが、その分たくさんの人の目に触れて、たくさんの人の心を動かしている。私みたいな「見ている側の人間」からしたら憧れる、尊敬する。ほとんどの人間は、作品に出演することもなく、自身の生活を記録することもなく、周りの人の心にのみ残った状態でこの世からいなくなっていく。そして、何十年後には、自分のことを覚えている人間は全員この世からいなくなって、自分自身は最初からこの世に存在しなかったも同然となってしまう。作品に出演している人間だって、何百年後、何千年後には誰の記憶にも残っていないかもしれないし、作品自体消えてなくなってしまっているかもしれない。そしたらみんな同じ?私はそうは思わない。
私の尊敬している友達が、「寿命よりも大事なものは、人に与える感動なのかも」、と記録していた。「地球が何回回っても消えないから。でも、感動を与えられる人間なんて、1握り」。
みんないつか死ぬなら何をしても何をしなくても変わらないという気持ちと、どうせ死ぬけどそれなら何か生きた証を残したい、生きているうちにたくさんの人の心を動かしたい気持ちの、ふたつをいったりきたりしている。
私はずっと、自己表現が苦手だった。
小学生のときは自分の声を聞かれることさえ抵抗があり、クラス内で声を発せなかったし、幼いころからずっと音楽をやってきたけれど、身体や表情を使って全身で音楽を表現する自分に違和感を覚えてしまい、もう音楽をちゃんとやる気はない。だから、いつも憧れている。様々な表情で写真に写る被写体の方、舞台の上で全身を使って自己を表現するdancer、音に自分を乗せて全身で音楽をするmusician、カメラの前で自分の生活をさらけ出すYouTuber、様々な役になりきってどんな自分も見せてしまう役者さん。
自分をさらけ出して初めて誰かの心を動かすことができると思っているし、誰かの心を動かすことは簡単なことじゃない。感動は地球が何回回っても消えない、そう思えるほどの価値があるものだと、私もそう思う。
私はどうしたいんだろう、どう生きたいんだろうって、ずっと考えてた。自分の身体を使って自己表現をする憧れの方たちに、私はなれないと思う。だけど、自分の身体を使わない方法でなら、何かを残して、少しでも多くの人の心を動かすことができるかもしれない。文章を書く自分や、この目で見た美しいものを、絵や写真などの何かしらの手段で残す自分、そういったもので、自分が感じたことを残していきたい。
これからもずっと、身体で自己表現をする人たちに憧れながら、背中を追いながら、生きていくのだと思う。その憧れの気持ちが、自分の創作活動の燃料になる。
今日買った星野源のエッセイ「いのちの車窓から2」を片目に、私も彼のような、文章を書く人になりたいと願いながら。