お互いに大切にし合える人とともに、生きる
私はいつも、自分がどんな人間になりたいのかばかり考えて、他人に対してどうありたいのか考えられていなかったんだ、ということを、私に対して無償で与えてくれる人間と出会う度、話す度に思う。
偏差値の高い高校に受かりたい、二重になりたい、運動部のマネージャーになりたい、国立大学に受かりたい、サークルの幹部をやりたい、ハイスペックな彼氏が欲しい、難関資格をとりたい、お金持ちになりたい
そういったもので、自分の価値を高めることしか考えていなかった、思春期の頃の私。それも仕方ない。高校生の頃なんて特に、ルッキズムに支配されて、どこのグループに属するかで自分の価値が見定められていて、自分らしさなんてどうでも良かった。ただ誰かに認められたかったし、舐められたくなかった。格下の人間だと品定めされたくなかった。埋没をして、頑張って華やかなグループの子と話した。(私がそこまで高校生らしい遊びやノリが得意ではなかっただけで、私が仲良くしていた子たちはみんなとっても優しくて、誰にでも分け隔てないいい子たちだった。)それでもどこか、自分は楽しめるだけじゃなくて、努力していい大学に行ける人間だって証明したかった。私みたいに頑張って、ではなくて自然に高校生を楽しめてしまう人間に憧れていたからこそ、私には大学受験で結果を残すことが必要だった。そうじゃないと、頑張って背伸びして笑顔でその場をしのいだ自分しか残らなかったから。無事に第一志望の国立大学に受かって、その後もまた、自分の価値を高めてくれる肩書に縋った。
だからこそ、たくさん傷ついた。
初めて結婚したいとまで思った人に、内面が尊敬できないという理由で振られた。ごもっともだと思った。見る目あるね、と思った。彼は東大生だったから、難関資格の勉強をしている自分は釣り合っていると軽率に思っていた。頭がいい男の人が、頭がいい女の人に最上級の価値を感じるなんてこと、ないんだということにその時初めてちゃんと気付いた。私と付き合って、自分はもっとポジティブで一緒にいて明るい気持ちにしてくれる人が好きなんだということに気付いた、と言われた。大学2年生の夏だった。
それでも、私は彼にとっても優しくしていたし、優しいね、ということは何度も言ってくれいていたから、優しい人間に価値を感じられない悲しい面も持っているんだな、合わなかったな、と思った。(これは今も思ってる。)それと、資格の勉強が大詰めだったから、自分の性格を変えようと思えるほどの余裕がなかった。だから、色々なことを後回しにした。
ちょっと話が変わるけれど、私には大尊敬している大好きな一つ年上のお友達がいる。彼女はとっても深い人間だ。自分自身、色々なことを考えて生きていると思っていたけれど、彼女と話すと、私が最近気付いたことは全部彼女はとっくの前に知っていたんだ、ということに気付く。一番大きな気付きは、考えていることの内容だった。私はいつも、自分がどうなりたいかばかり考えている(どんな仕事に就きたいか、何のスキルを身につけるか、服装や髪型でどうやって自分を表現するかなどなど)けれど、彼女はいつも、他人との関わりの中で自分がどうありたいか、自分が向き合っている相手はどんな人間なのか、そういったことを考えている。真反対だと思った。私は他人ありきの自分のことなんて、考えたことがなかったんだということに気付いた。これは結構、静かで衝撃的な気付きだった。
就活。自己分析。
そこでもまた、私が大好きなタイプの人間に出会った。彼は私の二つ上で、彼もまた上記の彼女のように、私が最近気付いたことはもう何年も前に知っていた人間だ、と会話を通して思った。温かい人間で、共感を通して人の懐に入るのが上手な人。よく笑う、楽しい人。私がオススメした大好きな曲をちゃんと聴いて、ハマって、一日5回以上は聴いてますって、伝えてくれる人。人が言われて嬉しい言葉をよく知っている。彼女に少し似ているな、と思った。彼女もまた、相手が今一番求めている言葉を常に考えて自分を少し犠牲にしてまで伝えてくれるような人間だ。私はそんなことをしてこなかった人間だから、これみんなに対してやっているの…?そうだとしたらキャパどうなっているの…?と本気で思う。私だから、ではなくて、私が人間だから、そうしてくれているだけで、彼等の通常運転がこれだと思うと少しこわい。私はこうゆう人間を結局大好きになってしまうので、いつも見えない尻尾を振って、彼等が言われて嬉しいこと、元気になる言葉、してもらって嬉しいことを考える。100%の気持ちで向き合ってまう。気持ちを注ぐ範囲が、彼等とはまるで全然違う。
二人の違うところは、人との付き合い方だと思う。
彼女は、人間関系は流動的で、ずっとが伴う約束は今現在のためにある、と言う。流動的な人間関係の中で、本当に大事なものは何なのだろう、と。そんな彼女に結婚願望はないし、自分から誰かを本気で好きになったこともほとんどないと言う。
一方彼は、四年も付き合っている彼女さんがいる(びっくり!)。こんなに色んな人に愛嬌をふりまける人間なのに、四年間も一途に愛し続けている人がいるなんて、なんて要領がいいんだ。彼の中で、彼女さんと他の人間との境目は何なのだろう。私だったら、多くの人に愛嬌ふりまいた結果、特別な人とその他大勢の境目が分からなくなってしまいそうだ。(私がまだ高校二年生の頃、ルッキズム真っ只中で埋没をした年、彼は既に人生の伴侶(になるだろう相手)を見つけてしまっているの、あまりにも人生の先輩過ぎる。自分がまだまだ子供で未熟で、悲しくなる。)(私にこうゆうことを言ったりやったりしたら、私が彼のことを好くはずだと思われて、手のひらで転がされているのだと思うと結構悔しいな…。多少計算もしているだろうし…。)
他人との距離感が分からない。相手が先に心を開いてくれたら嬉しいし、自分は深い関係を求める人間だからこそ、そうゆう人間が大好き。だけど、自分の方が先に心を開くって、怖い。相手が返してくれなかったら、自分だけ馴れ馴れしくて、相手を不快にさせてしまうかもしれないと思う。異性だったら尚更、気を遣う。(恋人がいたら、それを盾にできるから正直羨ましいし、ちょっとずるい。)そういったものを跳ねのけて、自ら愛嬌を与えられる人間は本当に強いと思う。与えたものがぞんざいに扱われて、自分の一部が粉々になってしまう可能性だってあるのにな。
恋人って、なんなんだろう。恋人だからって、常に特別扱いされるわけでもないし、たった一人を愛し続ける勇気なんて、もしかしたら私にはないのかも。四年も愛し、愛される相手がいること、私のコントロール範囲外すぎて、想像もできない。もう一つの世界で起きている、嘘みたいで幸せな夢のよう。天国っていうフィクションみたいな世界の話のよう。それくらい、私がほしくてほしくてたまらない(それに伴う悩みも苦しみも分からないからこそ)もの。でもこれはきっと、ステータスだ。中身を知らない私が勝手に羨むこと、その肩書が欲しいだけに他ならないんじゃないか。
この世がまだ一夫多妻制だったら、好きな人と付き合いたいとか、思うのかな?恋人になりたい(特別になりたい)って、その席がたった一枠しかないから生じる感情であって、何人かがその人の恋人になれてしまうなら、それはもう特別なんかじゃなくない?って思う。ただの友達と恋人の違いなんて性行為があるかないかでしかなくなってしまう。
そもそも私は、結婚したいとまで思った元彼にさえ性欲が湧かずに拒否していた人間だから、私が異性に持つ感情って、恋人としてじゃなくても、友達として、人間として特別、貴重な人間だと思ってもらうだけで完結してしまうんじゃないか?自分と同じように一人一人としっかり向き合える人間って、恋人にならなくても、目の前の相手としっかり向き合って大切にすることができてしまうし、逆にそうではない人間は、恋人になったところで、大切にしてくれているっていうことを実感できないから。
この考え方も、まだ恋愛味が強いんだろう。結婚となったらまた違う。家庭を持って、守るものができたら、今私と向き合ってくれている人たちも大事なものを守るべく、私にかまっている時間なんてなくなってしまうんだろうから。それは悲しいな。なんでみんな当たり前のように、お互いに大切にし合える人に出逢えるのだろう。
頭の中、もっと楽になりたいな。