自分を認めるという奇跡

誰しも、自分自身の「闇」に向き合うのは怖いもの。
できれば目を背けていたいし、そこに触れずに明るい方向だけを見て進みたい。
だけど、本当の意味で自分を認め、心の中にある深い光を見つけるためには、その「闇」をまず知る必要があるな。という体感。


闇と光は表裏一体


どんなにポジティブなイメージを重ねても、感謝の気持ちを言葉にしても、「なんとなくうまくいかない」と感じる時ってあるよね。
「小さな幸せに気づいてるのに、なぜかまだ満たされない」とかさ。

そんなとき、実は心の奥底にある「蓋をしてきたもの」が静かに私たちを呼び覚まそうとしているのかもしれない。


偽りの自分を生きることも悪くない


「本当の自分」じゃない姿を演じてきたこと、あるよね。

周りに合わせるために、少し無理をしたり、本音を飲み込んだりしてきたこと。強がったこともあるかもしれない。
それで生きてきたから、もうそれが本当の自分なんだと思い込んでた。

でも、それで得たものも確かにあるんです。
そのおかげで楽しい時間を過ごしたり、出会えた人たちもいる。
それが悪いわけじゃないし、むしろその時の自分に感謝してもいい。

ただ、「なんかいまひとつ」「もっとこうなりたいのに」と感じたら
自分に聞いてみる。
**「本当の私はどう生きたいの?」**と。


闇を認める苦しさとその先の優しさ


自分の闇を見つめるのは、とても苦しい!ほんっとうに苦しい!笑
「私はこんなにネガティブだったんだ」
「本当は陰の部分ばかりの人間なんだ」
そんな自分に気づくことは、奈落の底に落ちるような感覚。

だけど、不思議なことに、その闇を認めると、少しずつ心が軽くなってきた。
「なんだ、こんな私もいるんだな」
「これが私の一部なんだ」と認めると、驚くほど優しくなれる瞬間が訪れた。

私たちは完璧な存在じゃないし、それでいい。
一度、「なんにもない自分」を受け入れると、本当に大切なものが見えてくるかもね。



闇に落ちるのも、上がるのも自由


何かに大きく凹んでしまった時は、いっそのこと「落ちてみる」のも手。

でも、その時に心の片隅でこう呟いとく。
「私は必ず上がる。上がるのはわかってる」
泣いて、叫んで、思いっきり吐き出す。
紙に書き出すのもいいし、独り言をつぶやくのもいい。

時には客観的に自分を眺めて、
「あー、私、今めっちゃ悲しいんだな」
「悔しいよね、でもまた上がれるよ」
「知ってる。また上がるのはわかってるんだよなー」

って、自分に声をかけておく。
まるで玉ねぎの皮をむくように、何層も何層も重なった感情や過去が現れては剥がれていく。
これ以上出でこないだろ!これが本当の私だろ!と思ってても
時間とともにまだ出てくる笑
そりゃそーよ。気付き始めるまでのうん10年?刷り込まれてきたんだもの。
一発で終わったらラッキーよW
それは時に苦しいけれど、それを繰り返すたびに、少しずつ本来の自分へと戻っていく気がするよ。

それが、その過程が、自分と向き合う とか自分を愛する って事なのかもね。



光と闇をともに生きるということ


最終的に、人は「光だけ」でも「闇だけ」でもなく、両方を抱えて生きてると思うんだよなー。
自分の闇を受け入れると、そこに執着しなくなる。
そして、他人の目も、周りとの比較も、少しずつ気にならなくなる。
自分を丸ごと受け入れること。
そのプロセスは苦しいけれど、だからこそ「本当の自分」で生きる自由を手に入れられる。


最後に、私へあなたへ


もしまた、何かに凹んでいたら、ただ泣いてもいい。
もし今、自分の闇に気づいてしまったら、それをそっと受け止めてもいい。
そしてちゃんとその時に決めておく。
「私は大丈夫。私はまたちゃんと上がるの知ってる」
それだけで、心に小さな光が灯り始めるよきっと。
光と闇、その両方を抱きしめながら、私だけのあなただけの道を進も。
きっと、その道の先には、今よりも少しだけ優しい自分がいるんだな。

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