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映画『哭悲 THE SADNESS』 脳が弾けて仕事を辞めた話
絶対に観ないで欲しい映画について書く。
台湾発のホラー映画『哭悲 THE SADNESS』のことだ。
この映画を観て喜ぶ人はきっとどうかしてる。
そして、どうかしてるのが2022年の僕だった。
アジアン・ホラー豊作の夏
2022年はアジアン・ホラー豊作の夏だった。
NETFLIX発”最悪のプリキュア映画”と評された台湾ホラー『呪詛』。
最恐の國村隼を生み出した『哭声/コクソン』の監督、ナ・ホンジンが原案&プロデュースをした土着信仰タイホラー『女神の継承』。
そして最も”ヤバい”との評判が飛び交ったのが『哭悲 THE SADNESS』だった。
僕はホラーインフルエンサー、人間食べ食べカエルさん(@TABECHAUYO)の映画評を信頼していて、Twitterに連日投稿される『哭悲 THE SADNESS』への悲鳴を見て公開を楽しみにしていた。
(前略)台湾が放つ超ド級残酷バイオレンスホラー!これマジで観たいやつです。本当に期待してる。予告も貼るけど引くぐらいグロいので要注意!!
『哭悲 THE SADNESS』試写で鑑賞。(中略)想像してたラインの遥か上をいくエグさ。(中略)これ本当に公開できるの??
(前略)本編はもう本当に大変なことになるんですよ。
10点:ゴア描写の大洪水!
文句なしの大傑作。
https://brutus.jp/2022summer_horror/
見てよこの絶賛の嵐。
期待値が高まって、公開して数日後に新宿武蔵野館に観に行った。
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2022年7月4日 月曜日
この日は珍しく定時で上がることができて、職場から真っ直ぐ新宿に向かった。
定時で上がるのは本当に珍しいことだった。当時は印刷会社で本や雑誌を作りまくっていて、深夜残業どころか徹夜もザラだった。なんなら毎週土曜の夜も校了日だった。もちろん有給も代休も取れなかった。
唯一手が空くのが月初の月曜日。月初に発売する本は前月に、週の初めに発売する本は前週に作り終えているからだ。
館内には血みどろのポスターや映画を代表する感染者(ゾンビ的な存在)をあしらったTシャツなどの物販が並んでいて、お洒落な内装とのギャップにワクワクした。
ここで簡単に(そして読む人が嫌になりすぎない程度に)映画のあらすじを紹介する。
時は2021年、インフルエンザに似た症状をもたらす未知のウイルス”アルヴィン”が巷で流行中。「アルヴィンはただの風邪」「大統領選を前にした陰謀」なんてまともに取り合わないメディアと市民たち。
しかしある日ウイルスは突然変異し、感染者が凶暴化して人を襲う。ウイルスが脳の衝動を刺激して残虐な破壊行動を取ってしまうのだ。
彼らは生ける死者であるゾンビとは違い、理性が働く。考え得る最も残虐な行為を行う衝動に突き動かされながら、内面ではとてつもない罪悪感を抱え、笑いながら涙を流す…。
地獄絵図の中で離れてしまったカップルは、生きて再会することができるのか。必死のサバイバルホラー。
露悪と冷笑と徹底的な残酷描写をお腹いっぱいになるまで詰め込んだ映画だ。
ホラーファンとして楽しめるポイントは沢山ある。
監督はよっぽどの映画フリークのようで、古今東西のネタが散りばめてある。映画作りが丁寧で、しっかりとフリとオチが効いている。
これはあまりにも個人的な楽しみ方だけど、登場する役者さんたちが日本の有名人にどこか似ているところがあって、「MAD田山涼成だ」「MAD渡辺直美だ」と密かに楽しんだ。MADティモンディ高岸の「パンツを脱がせろ」(やればできる!の言い方)には劇場で声を出して笑った。
そんなフォローも振り切るほどに最悪な映画と言って間違いない。
映画の設定通り、考え得る限りの残虐行為を見せつけられる99分。
映画は最悪だった。
最悪だったのに、僕はこの映画を楽しんでしまった。
そして僕は仕事を辞めた
映画を観た帰り、呆然としながら新宿駅に向かった。
僕だっていっぱしのホラーファン。確かにスプラッターよりはお化けとか呪いの話の方が好きだけど、それなりに残酷な映画も観てきた。
描写の残酷さにヤラれたわけではない。僕がヤラれたのは、この映画を楽しんでしまったことに対する罪悪感だった。
顔をしかめたのは日常から急転直下で地獄になる序盤だけ。あとは地獄を受け入れて楽しんでいた。
有り余る破壊衝動と食欲と性欲。
やりすぎてどこかコミカルでさえある死。
偉そうに理想論だけを語る大統領の頭が弾け飛んだ時、脳内で倫理観が弾け飛ぶ音が聞こえた。口角が上がった感覚を今でも思い出す。
呆然として新宿駅に向かいながら、この映画を楽しんだ僕はもう限界なんだと思った。
次々に問題が起こって「仕事が壊れるか、人が壊れるか」と言われる環境。
仕事が壊れ、ギリギリの綱渡りをする毎日。
人が壊れ、代わりに仕事が積み上がる毎日。
そんな毎日は自分の至らなさが原因だから当然なのだと思っていた。
だって毎日客からも現場からも上司からも怒られるんだもん。
もっと頑張らなきゃと自分に言い聞かせようとするけど、もう頑張れないよと心身が訴えていた。
この悲しみと悪意は感染する
『哭悲 THE SADNESS』を見て感じた衝撃を紐解くと、まさしく悲しみと悪意だった。
報われないどころか、先を見通せばもっと酷くなる悲しみ。全て終わらせてやりたいと思う悪意。
今まで蓋をしていたどろどろの感情が一気に湧き出すの感じた。
もう、全部辞めよう。
新宿駅東口前の喫煙所で、初めてそう口にした。
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その日から僕は転職活動を始めて、4ヶ月後に内定を貰った。
その選択が正しかったかどうかはわからない。
ただ、映画に感染して衝動に突き動かされた事実があるだけだ。
この悲しみと悪意は感染する。
だからこの映画は絶対に観てもらいたくない。
”アルヴィン”は人をどこに連れて行くかわからない。