「磨擦力」という考え方
ああ、物理に出てくるやつかあ、と、だいたいの人はこれを見て思うだろうが、よく見てみると、これは「摩擦」ではなく「磨擦」である。
何がどう違うかを説明する前に、そもそもこれは僕自身が考えたものではないことを先に断っておく。
今までカメラマンとして、そして今ではインターンとして関わらせていただいているLovegraphの代表のこまげさんが提案している力学の一つである。
彼自身、「摩擦」ではなく「磨擦」であることの重要性は強調していて、当然その部分にこの力学の意義がある。
これが意味することを簡潔に訳すと、
「敬意と誠意をもって、率直に意見を伝え、互いに切磋琢磨していく力」
となる。
余計に訳がわからなくなったと思うので、この力学のメカニズムについて説明する。
そもそも、どうして上記のような「敬意と誠意をもって率直に意見を伝える」ことが摩擦につながるのかというと、こまげさんがこの力学の部分で示しているのは「性質や気質の違うものが掛け合わさることによって、結果的にそれら単体によるものよりも大きなインパクトを生むことができる」という点だからである。
例えば、Lovegraphはカップルフォトを撮影するサービスとして始まったのだけれど、当初はネットやテレビといったメディアで「リア充爆発」が流行語として多用されていた時代でもある。
つまり、その時代にとって、人々が見たかったコンテンツは「リア充爆発」のコンテンツであり、「カップルの幸せそうな瞬間を撮影する」サービスなんて、とてもではないが時代には見合っていなかったのである。
しかし、そのギャップが結果的にインパクトを生むきっかけになったと彼はよく言っている。これが「磨擦」の例である。
これをもっと小さな人間関係に矮小化すると、「たとえ意見が違い、常識的考え方があったとしても、臆せず、あくまで誠意を持って伝えることで、結果としてアウフヘーベン的なインパクト、解決を生み出すことができる」ということになる。
これは違いがぶつかることで必ず生まれる「摩擦」にたとえ、そしてそれら自体はすりきれることはなく、むしろ磨かれていくことにつながるため「磨」という字を使用しているのである。
これを僕なりに解釈すると、大事になってくるのは「何がその時代で過小評価されているのか」ということだと思っている。
過小評価というと言葉は悪いし、なんならただの逆張りにもなってしまう。
僕が強調したいのは、世の中も自分自身も、だいたい力学的に必ず何かベクトルを持った潮流が生まれれば、それとは対照的な力が必ず働き、結果としてそれによってうまくゼロに収束していく、というような流れがあるということで、これを読む力、ひいては「今の常識に対して何が非常識なのか」ということを常に考えることにあると思う。
これを噛み砕くと、意外と磨擦力を利用したコンテンツは世の中にいくらでもあることがわかる。お笑い、CM、映画のオチ、なんだってそこに帰着させられる。(そう考えると、これを言語化した弊社の社長は本当に物事を抽象化する力が高いのだなあと……)
人間関係では常識に流されて言いたいことを言わないのではなく、あくまで敬意と誠意を持って、きちんと伝えてみるということ。
そして物事の考え方として「全くかけ離れた、距離の遠い概念をぶつけることで、弁証法的に新しいインパクトを生み出す」ということを意識していきたいな、と思っている。
なんだか金曜日で気が抜けてしまったのか、ただの用語の説明になってしまった。まあ、文字にはなっているからそれでよいのだ。ゴミよりはマシだ。
2020年1月10日
オチのないショートショート.