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怒りを消費する〜ADHDと告げられた、ある西日の美しかった日のこと〜

※このnoteは先日僕が遭遇したある出来事を元に執筆したものですが、あくまで僕の経験上の話であり、特定の人物や組織、またその領域そのものを誹謗中傷するものではないことを先にことわっておきます。

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2019年5月22日。
あの日はよく晴れていた。
僕はいつものように起床し、いつものように午前中をダラダラと過ごしたわけではなく、普段は9時すぎに起きるところを、7時には起床し、部屋を掃除し、洗濯物を干し、友人に頼まれ、朝早くから写真を撮っていた。かんかん照りというほどでもなかったが、夏の始まりを告げるような陽炎と、強烈な日射によって生み出される木漏れ日、それらはやはり僕らに夏の到来を予感させた。
ただ、唯一の救いはやさしい風が吹いていたことであり、ギリギリ長袖で過ごせるような気候でもあった。

そんな健康的な午前を終えた、午後のことである。
僕は予定通り、あるメンタルクリニックに行った。
これまでそういったものとは無縁だったが、明らかに大学生になってから発生した体調の不良、自己管理能力の低下、向上心やハングリー精神の枯渇、それらはもはや僕の中で無視できないほどに膨れ上がり、そしてまた、僕を蝕んでいた気がした。
高校の友人からは「あんなにストイックだったのにどうした?」とサラッと言われることがあったりしたが、正直それがわかっていたら僕も苦労しないのだ。

このまま自らの自己嫌悪を垂れ流しにするわけにもいかない。
恋人や母親からも、何度も「病院に行った方がいい」と助言をいただき、確かに何かが変わるきっかけになればいいなと思い、インターネットで「うつ病 診断」という安直な検索方法でヒットした手頃なメンタルクリニックを予約・受診した。

なにぶん初めてなもので、その辺りのルールや手順といったものはほとんど知らなかったのだが、初診の場合、まずはじめに予診といって事細かく問診票を書かされることになるらしい。これがまた本当に項目が細かく設定されており、なるほど、確かにこれなら、患者の状態を知った上でスムーズに診断を行うことができると感心していたのだった。
ちなみに血圧や体重も計られたのだが、血圧は上が154くらいあった。体重は57kgだった。まず間違いなくクソの塊のような煙草と、そして不健康な食生活そのもののあらわれだった。誰かそろそろ本当に禁煙させてくれ。

予診は30分ほどで終わり、いよいよ本診である。内心きちんと診察してくれるか不安な部分もあったが、意外にも心はかなり落ち着いていた。これでやっと地獄のような自己嫌悪と劣等、そして潰えることのない恐怖から解放されるのだと。

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診察は思ったよりも、というか、いや、今でも実はあれは夢だったのではないかと思うときがあるのだが、間違いなく、あれは地獄そのものだった。

「よろしくお願いします」というかすれるような挨拶をし、椅子に座る。
普通の内科のような診察であれば、心音を聴き、また喉の様子を確認したり、いろんなパターンがあるが、まず間違いなく問診票を見た感じで、医師がある程度の絞り込みを行った上で診察が始まる。
どうやらこの病院のそれはちと違ったようだ。

「あんたは、うちに何を求めてんの?何してほしいの?」

ひどく高圧的で、そして僕をゴミのように見る目つきだった。
いや、それは言い過ぎかもしれないが、(というか確かに今の僕はゴミ同然なのかもしれないが)その言葉はナイフなんかよりももっと鋭く、まるでさっきまで氷を削っていたアイスピックのような冷たさと鋭さを同時に抱えたものでもあった。

「え?ああ、その、えっと、あの……」

たしかこんな感じだった。いきなりそんなことを言われても
「はい!僕が貴院に求めることといたしましては!第一に健康の増進及び…(以下中略)…であります!」
なんて答えられるはずもないだろう。
しかし、もしかすると僕が何も知らないだけで、メンタルの治療とはこういうものなのかもしれないと思い、ここではなんとかこらえた。

問診は続いていく。まあメンタルクリニックなので、触診で病気がわかることの方が少ないだろう。あくまでこの診察は、僕と医師による対話によって導き出されていく。僕の回答も、医師の質問も、ひとつひとつがヒントなのである。

「どんな時にひどく落ち込んだりするの?」

予診票にも書いていたのだが、僕は確認の意味もあるのかと思って同じことを答えた。

「日常生活を規則正しく行えなかったり、約束を守れない自分に気づいたときや、自分の写真が評価されなかったりしたときに落ち込みます」

異常に卑屈でありながらも、ある意味で正直でもあるので、自らの弱みをさらけ出すのは苦ではなかった。とはいえ、何度も同じことを言わされるのは面倒だ。頼む、お医者さんよ、なんとかこれをヒントに治療の糸口を見出してくれ、そんな風に思っていた。しかしながら、医師から放たれた言葉はあまりにも意外なものだった。

いやいや(笑)そんなことはどんな人にだってあるものだよ。写真が評価されないなんてのは別に大したことじゃないじゃないか。そういうのじゃなくてさ、もっとこう、死にたくなるようなそういう悲しさみたいなのはこないの?何もしたくなくなるとか、そういうの」

ある意味で新しかった。たしかに、写真が評価されないことは大したことではないのかもしれない。日常生活が正しく送れないことは、普通の人でもよくあることなのかもしれない。しかし、これらはあくまで僕を激励する文脈では全くなかった。そういった僕の感情、それらはこの診察に意味はなく、その悲しみはどうやら医師の求める感情ではなかったようだ。

……いや。
……なんだこれ。
途中までは困惑と疑念が混じり合っていたが、次第に僕の目は、おそらくそれらを示したものから、ある種の諦念を映していたものに近づいていた。

一通り質問が終わっても、「これは厄介だ」と言われながら、ちょくちょく僕の人生をバカにされながら、なかなか診察は終わらなかった。心の中では、もう治療なんてどうでもいいから、この人間と会話するのをやめさせてくれ、そう思うようになっていた。

「一応、医者なので、なにかしら診断は行わなきゃいけないのでね」

お医者さんはそう答えた。
いや、マジか。たぶん、そんな顔をしてしまった。おそらくどんな感情とも違う、ただただ驚いたという感じだ。文字通りマジかという顔をした。
次第に質問は、僕の管理能力の低さや、突発的な行動、優先順位が決定できないことにフォーカスしたものへと動いていった。

この段階で、僕の中で一つの確信が得られた。
この医師は、僕にADHDという診断を下したいにちがいない、と。

実際、別に嘘をついたわけでもない。昔から、僕は予定を立てることや、約束を守ること、マルチタスクを行うことが苦手だった。もっとも象徴的なのは「夏休みの宿題」だ。あれらを予定通り早めに終わらせて、夏休み終盤に遊んでいる同級生を見ると、おかしくて仕方なかった。
僕の中で、当然夏休みの宿題は、早めに終わらせられればそれが良いに越したことはない。しかし、それができないとわかりきっているのも、同時に夏休みの宿題たりえる所以でもあった。夏休みの宿題とは、直前になってギリギリで仕上げるものである。もはや夏の風物詩だ。夏祭りより花火大会より、夏っぽい。

あくまで自認していたに過ぎないのだが、僕はたぶんADHDだろうと思っていた。少し調べただけで、もうその病気の特徴に当てはまるわ当てはまるわ。
正直、そんな感じでなんとなく自分はADHDなのだと自覚していた。
だからこそ、医師がそこに着目し始めた時、質問内容などから、それを下そうとしていることは明らかだった。
そのまま流れるように、僕は医師にとって都合のいい回答をした。
もう多くは望まない。助けてくれなんて言わないし、元気になりたいとも思わないから、頼むからこれ以上僕を勝手に判断しないでくれ。そう思うようになっていた。
僕は典型的なADHDの特徴に当てはまるようなことを意図的に抽出して回答した。この時点で、この診察は意味のない、全くくだらないものに朽ち果てた。しかし僕がADHDなのは自明だ。なのでとにかく診断がスムーズに、そして穏便に終わるよう仕向けた。ような気がする。
実際のところは、あまり覚えていないのが本音だ。まさか精神治療の場で、あそこまで自らの経験を侮辱されるとは思いもよらなかったからだ。僕の思考はすでに冷静さのほとんどを失っていて、ただひとつ、早くここから出たいという感情しか残っていなかった。

予想していた通り、医師が僕に下した診断結果は「ADHD(注意欠陥多動性障害)」だった。そりゃあそうだ、という顔をした。

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医師はその後、「君はこれからどうしたい?」という質問を投げかけた。
僕の答え方が悪かったのかもしれない、短時間でその人の全貌や人生の輪郭をとらえることなんて、そもそもできっこないことなはずなのに、僕は心のどこかに「この人は精神医療の専門家なんだ」という意識がまだ少しだけ残っていたのだろう、僕は医師に「普段通りの生活を送れるようにしたい」と答えた。

僕は現在、大学を休学している。留学とか起業とかインターンとか世界一周とか、そんな大層なものは何一つなく、ただただ「学校に行きたくないから」休学した。理由は上記の通り、低い自己管理能力によって課題が出せなかったり、朝起きれなかったりしていたことからくる「自分はダメなんだ」という嫌悪だろう。でも、休学する前も今も、色んな人に出会ってきた。色んな人生を見てきた。
だからこそ、僕の中で大学という存在は普遍的なものでも、絶対的なものでもなくなっていた。行きたい人は行き、行きたくない人は行かない、それくらいのものだと考えるようになっていた。
ただ、僕は大学には行きたかった。普段通りの生活とは、そういった自制のきいた、健康な生活のことを指している。

医師の問答はさらに激しくなっていった。
僕はあくまで、大学には通いたいが、大学を出ることは絶対ではないから、別に結果として卒業できなくても、それでいいと答えた。
それを彼に誤解されたのかなんなのか今となってはどうでもいいが、医師はそれに対し、苦笑いしながら言い放った。

「安藤忠雄のように大学を出ずともその才能を発揮する芸術家はたくさんいるが、君みたいな凡人にそれを達成することは難しい。だから、君みたいな人はとりあえず大学を出る人生の方がラクだと思う。せっかく京大に入学したんだ、それにその方が治療もしやすい」と。

---僕は「それは違うと思いますよ」とだけ伝え、今後の治療は一旦見送るということで病室を出た。

診察の支払いはたしか、2000円くらいだった気がする。趣味の悪い罰ゲームを僕はしばし楽しんでいたのかもしれないな、と傾き始めた西日を眺めながら、僕は例のクソの塊を口いっぱいに吸い込んだ。

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---どうしてなのかはわからないが、この日を境に僕はなぜか非常にエネルギッシュになったのだ。一瞬「躁うつか?」とも頭をよぎったが、おそらく違うことはなんとなくわかる。「お医者さん」は僕を躁うつではないとも言っていたし。

このエネルギーが果たしてどこからきているのか、今は当然気づいている。というか、次第にそれは、僕にその実体を見せつけてきたからだ。
怒りだ。誰も僕を助けてくれない、誰も僕にリスペクトなど振りまかない。そんな、諦めのような。
今まではそれが悲壮の泉に溜まっていた。しかし、いつの間にかそこに溜まったそれらは、ダムを通じたのか決壊したのかわからないが、怒りの泉へと流れていた。
もちろん、それで僕を助けてくれない人に対して「復讐してやる!」という方向に向くわけではない。それで「誰でもいいから傷つけよう」とも思わない。というか、だいたいこの世は誰もが誰をも助けてくれないものだ。だから今更、怒りの元にアクセスしようだなんて思わない、あの医師の悪口を言うつもりも、ホームページに酷評を書くつもりもない。むしろ、感謝をしたいくらいなのだ!

今までと何ら変わらない。21年間、僕を育てたのは愛であり、そして同時に怒りでもあった。
怒りはうまくコントロールしないと危険な諸刃の剣である。だから、僕も慎重に扱わなければならない。
しかしながら、明快すぎる事実ではあるが、怒りを燃料に人生を切り開いていくのは、結構しんどい。たち消えてはまた、新たな怒りを探す。それははたから見れば非常に滑稽なものだ。僕から見ても滑稽だ。でも、原点思考かつ回復志向の強い僕には、未来を描く力よりも、過去に意義と可能性を結びつける力があることは明白である。だからこそ、怒りが僕を強くするし、優しくもしてくれると思っている。

同情も、共感も、ちょっとはほしかったもしれないが、書いているうちに「他意がにじみ出ている」ことが気にかかりすぎて、少し申し訳なくなった。
僕はあくまで、医師を傷つけたいのではなくて、「辛かったね」と言ってほしいのではなくて、それがきっかけで元気になった原田透という少年のこれからと、それを探るための怒りの火を絶やさないように言葉を紡いでいるのである。
空虚と化した怒りは時に差別を生むし、ヘイトを生むし、またジェノサイドや暴力にもつながりやすい。
だから僕の怒りは、あくまで原動力である。走り出したら、さっさと捨てるのだ。

今考えてみると、僕は何に怒ったのかはわからない。文章を書いている今もだ。「誰も助けてくれないなら、仕方ないから自分で自分を助けてやるか」というような気持ちが強い。なんだか、僕がよく目にする感情だ。

……そういえば、今週のしいたけ占いでは、「怒り」を自分の燃料にしろと書かれていた。あまりにも正確に今の自分の心を言い当てていて、少し怖かった。

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P.S.今回、医師と僕とのやりとりは、録音などを元に記載したものではなく、あくまで僕の記憶からの抽出になります。そのため、文言や細かい表現の正確さには欠けます。また、冒頭にも示した通り、僕はこの文章で今のメンタルヘルスの分野における問題を浮き彫りにしたいわけでも、この出来事を非難したいわけでもありません。カウンセリングやメンタルヘルスの治療においては、患者とカウンセラー、あるいは医師との相性が大切になってくるといいます。たまたまこの病院が僕に合わなかっただけで、この病院が悪いということは全くないということをここでは強く強調しておきます。

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原田 透
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