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最近読んだ(記憶のある)noteの紹介

毎日noteを書くとは言ったものの、気付いたら日付を超えていたり、パソコンの目の前で寝落ちしたりして、その日のうちに更新できない投稿が2回くらいあったのだけれど、自分の中で1日1個程度のペースで更新できているのであれば、もはやなんでもいいやと思うようになりました。

毎日更新するルール自体は厳格に守るべきなのかもしれませんが、目的は「日々の取り留めのない感情を忘れてしまわないように記す習慣をつける」ことと、「時間をかけて丁寧に一本のnoteを生み出すことは、実は時間をかけなくてもできるのではないか?」という仮説の検証なので、それが達成されれば手段としての方法にあまりこだわりはありません。

さて、そんな毎日のようにnoteを更新するにあたって、なんやかんやで書く内容に困ったりするわけです。電車に乗っているとき、オフィスまでの道のりを歩いているとき、お昼休憩のとき、何かのツイートを見たとき、色んなところで突然、雷のようにアイデアや表現、ストーリーが僕の頭に落ちて来るときは、それに応えるように、疾風迅雷の勢いでもって、自分でも無意識のうちに文章が完成しているときがあります。
下の文章なんかはまさにそうです。

しかし、毎日がそのようにうまくアイデアが降ってくるわけでもありません。どちらかというと、そういったシーンはごくごくまれな話でありまして、ほとんどは「今日は何を書こうかなあ」と首をひねらせながらパソコンと向き合っています。

その中で、「今まで自分が書いてこなかったようなジャンルの文章はなんだだろう?」というようなことを考えたときに、単純に「これが好き!やばい!マジでみんな見て!」というテンションの、心の底から何か自分の好きなものを勧めようとしたことはあまりないのではないか、と思い立ったわけです。

本当につい先刻の出来事なのですが、僕が心の底から敬愛している写真家の写真を、改めて好きだと思い、その上心の底からこの写真を人に広めたい、見てほしい、と思えたのです。

これは当たり前に日々行っているようで、わざわざ言葉にするようなことはなかったなあなどと思い起こし、ではこれをnoteで読んだnoteの紹介という形で投稿すればよいのでは?と思い至りました。

というわけで、いつもよりはテイストは異なりますが、淡々でありながら情熱を込めて、そして筆者への敬意を込めて、勝手ではありますが僕が読んだ記憶のあるnoteのご紹介をしたいと思います。

1.ロマンスを取り戻せ、もういちど。許せない日々を忘れられなくても

ふと流れてきたこのnote。元々筆者の名和さんのことは存じ上げていたのですが、新年早々胸を打つ文章に出会えました。
凍った情熱をトントンと刺激するような、やさしい文章でした。

「いろんな痛みを見てみぬふりをしながら、あるいは上手く飲み込みながら、生き残った気でいた。許されてここまで生きてきた。そうか、そうだったのかぁ。」

もっとも琴線に触れたのはこの部分です。「そうか、そうだったのかぁ。」の一言が、時間の流れ、痛みとゆっくりと向き合い、そして許してくれたこと、許していくことへのリハビリをしているようでした。


2.Official髭男dismが無理だった話

タイトルが衝撃的すぎて、強烈なヘイトで注目を集めているのかと思ったら、実情は全く逆でした。
この自意識は、僕自身も感じていた違和とかなり合致しており、ひたすら勉強になりました。昔勢いで書いたnoteを思い出しました。

Official髭男dismはみんないいやつらだから。俺が保証する。あいつらを悪く言うな。Official髭男dismは悪くない。Official髭男dismを良いと思えない俺らが悪いんだよ。

実際はそんなことはないのかもしれないですが、相田みつをの詩を真逆にしたようで、非常に興味深い記事でした。

3.退屈をかくも素直に愛しゐし日々は還らずさよなら京都

大学の先輩で、今はお笑い芸人をしている小保内太紀さんの記事。
大学時代を過ごした京都での生活について、淡々と、そしてごくごく私的に書かれています。

内容は京都で学生をしていた方ならクスッと笑ってしまうような内容であふれています。それはさながら、森見登美彦の作品の世界線にはいながら全く登場しない学生というような感じです。
どこがよかったというより、どこを読んでも笑ってしまう、というような感想を僕は持ってしまいました。

4.詩 / 信仰

最後は中村森さんの詩をご紹介します。
こちらに関しては、もう実際に詠んでくださいとしか言葉にすることができません。

前半の「しかない」というところからは、絶望というか、袋のねずみとなった状態から導き出される手段への依存を示しているように感じました。それはある種の叫びに近いのかもしれません。

そして後半の、「がある」というところからは、信仰を超えた、希望に近い何かを感じます。
「心がなくても命がある」という表現の全てを理解することはかないませんが、なぜか僕自身、この言葉を読んで、心底ホッとしました。
そうか、僕には命があるじゃないか、と。

ちゃんと詠むと、詩はどこまでも僕を連れて行ってくれるような気がして、これは自己啓発や会話だけでは到達できない領域の感覚だとも思います。無論、それは船着場が違うだけで、それらに上位/下位といった階層は存在しないといえます。

最近読んだ記憶のあるnoteと書きましたが、他にも数えきれないほど読んでいますので、特に記憶に残っている文章を厳選しました。
あまり「【厳選】おすすめのnote50選!!!」と書いても、読者のみなさんが50本も記事の話を見るのは退屈かと思いますので、また来週のこれくらいの曜日でご紹介できたらと考えています。

明日も素晴らしい文章との出会いがありますように。

2020年1月9日
オチのないショートショート.



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原田 透
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