はじめてのチュウの影響力とか
靴下ぬぎ子先生がTwitterで勧めてらしたのを見て、にくまん子先生の「いつも憂き世にこめのめし」を読んだ。
アラサーの同棲カップルの日常を描いた作品、などとざっくりまとめてしまうのは申し訳ないけど、語彙力と表現力が欠如しているので許して欲しい。とにかく面白かった。と同時に羨ましい2人だなと思った。自分がアラサーなのもあるだろうし長いこと独り身なのもあるかもしれない。
主人公の友人と妹のキャラクターも素敵だったし、こういった日常ものを描くうえで退屈させないように話を展開させるのってめっちゃ難しいと勝手に思っているので(どの目線で言ってんのか)、そのあたりの秀逸さもたまらなかった。
特に好きだったのが「下手くそなキス」の回。缶ビール片手に読んでいたが危うく口に含んだ黄色い液体をマンガに毒霧がの如く吹きかけてしまうところだった。いや、霧状に液体を口から放出させるテクニックはないんだけど。昔あこがれて真似したことあったけどできなかったなぁ。そんなことを思い出した。
いや、違うんだわ。そんなこと書きたかったわけではないんだわ。この「下手くそなキス」で描写されている下手くそなキス(僕の文章力のなさには目を瞑ろうね)がなんか心当たりもあって笑った後にハッとしたのだ。
自分だけかもしれないけど、そんなに経験ない若かりし頃って「どれだけベロを動かせるか」がキス上手いと勘違いしてた気がするのだ。ポスト イジリー岡田は俺だ的な。いや、それは言い過ぎだけど。
でもこの「どれだけベロを動かせるか」=「キス上手い」の構図には何かしらの影響を受けている気もしていて、読み終わった後ソファーでゴロゴロ推しを眺めながら記憶を辿っていた(最低の辿り方。推しに謝れ)。
そこで思い出したのが初ベロチューを自分に体験させてくれた女の子の存在であった。「こいつ、めっちゃ口の中でベロ動かしてるぜ…」っていう衝撃を受けた記憶があって、なんかその影響をしばらく引きずったような気がしなくもないなっていう。その子とはその日限りだったんだけど。
「ベロ動かしまくるのアゴ疲れる」っていう筋力(?)的な問題に直面してやめたけど、初チューの影響力は多分に受けているような気がしなくもなくもない。みんなもなくなくない?(スチャダラパー)
そんなわけで甘酢ぱっい思い出と現実の寂しさと他人といることの難しさを実感して同棲解消した過去など、さまざまなことが頭をよぎりながらなんとも言えない温かさに包まれた作品で自分はかなり好きだった。
いつかこんな風に日々を過ごせる相手が見つかるといいね、と達観したフリをしながらNetflixを見るのだった。あー、酒のつまみににくまん食べたいな。