「転換期」1970年代と現代ー公文俊平『転換期の世界』を手がかりにー

 たまたま古本屋で1冊の本を手に取った。それは、公文俊平『転換期の世界』(講談社学術文庫、1978年)という本だった。僕は「転換期」という時代がなんとなく好きで、その類の本をしばしば手に取るのだが、今回の転換期は1970年代に関するものだ。
 この本で描かれる世界は50年以上も前の時代なのに、なんだか現在と非常に相通ずるものを感じた。当時指摘されていた問題が現在でも全く解消されていないし、現代を先取りした解決策(具体的ではないが)を提示している。そんなところが現在の僕に刺さったわけだ。簡単にその感想を記したい。

ローマクラブ『成長の限界』とその反響

 本書は、ローマクラブの報告書『成長の限界』の紹介から始まる。1973年に出されたこの報告書は、このまま人類が経済成長を続けた場合は、資源や環境問題によって限界に達するという、人類への警告文である。この報告書は様々な反響を呼び起こしたものの、人類の利己的な活動は抑制されず、ローマクラブにとっては不本意な結果であった。ローマクラブの創設者であるペッチェイは、この状況を受けて「人間革命」の必要性を主張する。問題解決のためには「なにか根本的なことをして、人間社会および人間それ自体を変えることが、必要なのである」と述べ、利己的な人間の変革を唱えていた。
 このような意見に対し、公文俊平は異を唱える。

いったい”人間性”それ自体は、どこまで変えうるものだろうか。行為の様式や行為の評価基準としての道徳が変化するものであることには、疑問の余地はない。しかし、その種の変化は、人間性の変化のためというよりは、人間とそれを取り巻く環境との間の関係の変化の結果であろう。

公文俊平『転換期の世界』47頁

つまり、人間を変えるためには、そもそも人間が身を置く周囲の環境を変えなければならないということである。至極もっともな意見だが、公文はそのために環境を変えるべく新たな「社会システム」を提案していく。

解決策としての共同体・コミュニティ

 公文が本書の中で一貫して可能性を見出しているのは、より小規模な共同体・コミュニティの設立である。公文はまず、経済学者ケネス・ボールディングの議論を紹介しながら、人間社会は「成熟社会」に達しつつも、成長率がゼロになりゆく「大減速」の時代を迎えているという。持続的な成長はありえず限りがある中で、人類は伝統的な村落社会・経済へと移行する必要があるという。ボールディングの言葉を借りてみよう。

アジアを初めとする伝統的な村落経済の方が、来るべき世界の原型であるように思われる。なぜなら、村落は大いに循環的で、すべての老廃物を大地に返し、外部からの輸入にあまり頼らなかったから。

K.E.ボールディング(清水幾太郎訳)『科学としての経済学』(日経新書、1977年)、181頁

 現状のままでは、人類は自然(共有地/コモンズ)を搾取し続け、共倒れの状況に陥ってしまう。例えば、ギャレット・ハーディンは、「コモンズの悲劇」という論文において、各人が好きに共有地を利用すれば、必然的にその共有地の劣化は避けられず、最終的には破滅に突き進んでしまうことを論じている。公文は締めくくりにこの問題を解決方法を提示するわけだが、そこでは国家の役割に期待しているわけではない。むしろ、小さな共同体やコミュニティに大きな期待を寄せ、来るべき21世紀は「コミュニティ型の解決方式の提案から、多くのものを学ぶことになる」だろうとの予言を本書で残している。

現在での議論

 本書で述べられている公文の提言は、決して具体的ではない。しかし、公文が提示したこの予言や主張は、我々が生きる現在と照らし合わせてみても、あながち外れてはいないかもしれない。近年話題になった新書の一つに、斎藤幸平『人新世の「資本論」』(集英社新書、2020年)がある。斎藤氏も、現在は人間の経済活動によって環境破壊がもたらされており、人類は存続の危機に瀕していると説く(これが「人新世」の時代)。そして、その解決方法は「脱成長コミュニズム」にあるという。端的に言えば、経済成長から離れ、政府に頼らずとも自治と相互扶助によって生きていく社会がここでは提示されている。
 また、共有地・資源の持続可能な利用についても、政府が介入するのではなく、むしろ地域の人々から構成される小さなコミュニティが運営した方が適切なことを明らかにした研究すら登場している(この研究については、エリノア・オストロム(原田禎夫ほか訳)『コモンズのガバナンス』晃洋書房、2022年を参照)。
 今後社会がどのような展開を見せていくのかは分からない。だけれども、本書で描かれる1970年代の社会は決して他人事には思えなかったし、その系譜は脈々と現代にも受け継がれているのは間違いない(70年代に提示された問題がそのまま残ってる時点でおかしな話ではある)。現代と同じ問題に向き合った1970年代(やそれ以降)の人々の営みからも、我々は学べるものが多数あるはずだ。それを身に染みて実感できただけでも、本書を手にとった価値はあった。

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