【ネタバレあり】ロボットの感情の有無を思い出ビデオから紐解いてしんみりする『アフター・ヤン』
【個人的な満足度】
2022年日本公開映画で面白かった順位:154/176
ストーリー:★★★☆☆
キャラクター:★★★☆☆
映像:★★★☆☆
音楽:★★★☆☆
映画館で観たい:★★☆☆☆
【作品情報】
原題:After Yang
製作年:2022年
製作国:アメリカ
配給:キノフィルムズ
上映時間:96分
ジャンル:ヒューマンドラマ、SF
元ネタなど:なし
【あらすじ】
“テクノ”と呼ばれる人型ロボットが、一般家庭にまで普及した未来世界。茶葉の販売店を営むジェイク(コリン・ファレル)、妻のカイラ(ジョディ・ターナー=スミス)、中国系の幼い養女ミカ(マレア・エマ・チャンドラウィジャヤ)は、慎ましくも幸せな日々を送っていた。
しかし、ロボットのヤン(ジャスティン・H・ミン)が突然の故障で動かなくなり、ヤンを本当の兄のように慕っていたミカはふさぎ込んでしまう。修理の手段を模索するジェイクは、ヤンの体内に1日ごとに数秒間の動画を撮影できる特殊なパーツが組み込まれていることを発見する。
そのメモリバンクに保存された映像には、ジェイクの家族に向けられたヤンの温かなまなざし、そしてヤンがめぐり逢った素性不明の若い女性の姿が記録されていた……。
【感想】
雰囲気がとても素敵な映画でした。未来を舞台にしているのに、SFチックな雰囲気は一切なく、映し出される光景が広くゆったりとした室内ばかりで、とても落ち着きます。
<テーマはオーソドックス>
この映画、テーマとしてはよくあるもので、「ロボットには感情があるのかないのか」というものです。で、この映画の中でその答えはハッキリとは明示されないんですよね(笑)というか、全体的に何かを決めつけるような表現がなく、ほとんど観客の判断に委ねる形なのが特徴的とも言えますけど。
物語の冒頭でヤンが故障して動かなくなりますが、結局、その原因についても語られないまま(笑)修理の手段を模索していくうちに、ヤンの中に動画を記録できる機能があることがわかるんですが、ここがこの映画のミソです。そもそも、どういう基準で動画を記録するかは不明ではあるんですけど、ヤンの動画には決まってひとりの女性、エイダ(ヘイリー・ルー・リチャードソン)が映っていました。ジェイクはエイダに会い、彼の知らないヤンについて理解を深めることになります。
<ヤンの行動はロボットとしての機能か、感情の芽生えか>
序盤で明かされますが、実はヤンって中古なんですよ。物語の後半で、記録された映像の中に、ジェイクたちのところへ来る前のものがあることも判明します。その過去の映像を探っていると、驚きの事実が判明するんですが、、、ここからはネタバレになるので、まだ知りたくない方はここでページをそっ閉じしてください(笑)
ヤンとエイダの関係性は、実は2人の過去に起因しています。これも映画の中で語られますが、エイダはクローンなんですよね。どうやらこの映画の中ではクローン技術もけっこうポピュラーなようで。で、そのクローンの大元はエイダの大叔母なんです。かつて、ヤンは別の家族のところにいました。おそらく何十年単位でいたんでしょう。そこの奥様がお歳を召されて、体の自由が利かなくなってきたときにリハビリトレーナー?としていたのが、エイダの大叔母である女性です。ヤンとその女性は仲良くなるんですが、彼女も亡くなっちゃうんですよ。死因はわかりませんが。で、現代になって、ヤンはエイダをカフェで見つけ、そこの常連になり、関係を深めていきます。
ここが本作の一番のポイントですね。「ヤンには感情があったんだろうか」ということです。何をもってエイダに近づいたんでしょうね。普通に考えれば、感情なんてないはずです。ヤンはロボットなので、プログラムされた通りにしか動きません。エイダについてだって、きっとヤンの顔認証システムが反応して、エイダと彼女の大叔母が同じ顔だということで反応しただけとも言えます。そんな機能があったかはわかりませんが、ヤンほど高機能なロボットならあっても不自然ではないですよね。
一方で、実はヤンには実は感情が芽生えていて、あの楽しかった日々をいっしょに過ごした女性と同じ顔のエイダを見つけたから、思わず声をかけてしまったとも捉えられます。これは観客の好きなように解釈できるんじゃないですかね。僕は後者だったら素敵だろうなと思いつつ、前者じゃないかなーって夢のない妄想をしていますが(笑)
<オチのない話>
さらに、ヤンの過去とはまったく関係ないところで、ヤン自体は"文化テクノ"という種類で、かなりレアなロボットらしいんですよ。ヤンの存在そのものが、科学技術の発展に大いに役立つと。なので、ヤン自体がもう修理不可能ということであれば、ヤンとそのメモリを博物館に展示しようという声もあり、ジェイクたちも最初はそれに同意していました。ところが、ヤンとエイダの過去を知り、その気持ちが変わっていくんですよね。「やっぱり展示はやめようか」となったところで、物語が終わってしまいます。「え?」って。「これで終わり?」って。オチも何もありません。これからどうなるのかな?っていうところで幕を閉じますから。ここも含めて、「観客に判断を委ねる」形なんだなーって思いますね。
<そんなわけで>
「みなまで言わない」スタイルの映画なので、あれこれ妄想できるのは楽しいです。がしかし、答えが出ない作品が好きじゃない人には、ちょっと向かないかもしれません。全体的に小説のような雰囲気の映画なので、好みが分かれそうではありますね。
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