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何も考えない時間をつくろう
一昨年、メンタル不調が怒りと不快のエネルギーを生み出し、道ゆく人にさえ憎しみを抱くことを止められない時期があった。
どこから湧いてくるのかわからない怒り、加虐心、邪悪なエネルギーの暴発を抑えることが更なるストレスを生んだ。
脳内を埋め尽くす怒りを塗りつぶすように、Xにのめり込んだ。絶え間ない文字情報が心地よかったのだ。歩行などで目が使えない時は、Vtuberの配信やネットラジオをハシゴして聴くようになった。
通学の道のりは常に音楽やラジオを聴き、情報と音を脳に流し込む。目が使える時は、考える隙を与えず文字情報で埋める。すると、自然と爆発的なエネルギーが消え去った。
その代償として、「情報刺激」を欲し続けるようになってしまった。2年が経ち、空白の時間に苦痛を感じるようになった。
【デフォルトモードネットワーク(DMN)】
という言葉を知ったのは、ひと月ほど前のことだ。ボーッとしている時や、何も考えていない時にだけ活性化する脳内ネットワークを指す。
自他境界の認識や、記憶の整理、創造性を高めるなどの役割を持つらしい。
脳内を怒涛の情報で覆い隠していたが、この言葉を知ってからは、あえて何も考えない時間をつくっている。
通勤時は、行きはラジオを聴いていても、帰りはボーッと景色や人を眺めて過ごす。
この影響かはわからないが、情報疲れや依存している感覚が減ったように感じる。
「何も考えず、DMNモードに意図的に切り替える」というのは意外と難しい。坐禅やマインドフルネスの基本の動作なのだろうか。
練習をすればもっと洗練された「無の時間」を過ごせるらしい。今の私のボーッとする時間は、まだくだらない自動思考が行き交っている。
「外国人観光客って、ホストの広告トラック見てどう思ってるんだろな」
「イルミネーションの電飾いつ巻いてるんだろう」
「ここの現場、大◯建設が再開発してるんだ」
「通勤してる人の冬服、黒率高いな」
「なんか今一瞬懐かしい匂いがした」
「ここの落ち葉、ブロワーでサイドによけてから一気に掃き掃除したすぎる」
とか、こんなことを考えている。
この考え事すら無にするには、何かをしながらでは無理があろう。
目を閉じて、場所と時間をセッティングして、リラックスした状態でこそ無の境地に至れるのかもしれない。