一児の母、社会人大学院生、博士号授与までの奮闘記
はじめに
こんにちは。私はmarmy(マーミー)というペンネームで発信している会社員です。そして、2022年春に博士号を授与され、長い社会人大学院生活を終えたばかりの新米博士でもあります。
私は、現役学生時代から博士課程進学に憧れがあったものの、その憧れを封印して就職。その後に取得した産育休のブランクもあり、技術職を続けられるかどうかの瀬戸際で「働きながら大学院」という道に飛び込みました。この記事では、その道のりを記したいと思います。
大学院入試の難易度、在学中の生活、修了状況は、人文・社会科学/理工系/医系という分野毎に、さらに細かな分類では学部や研究室、研究テーマ毎に全く異なります。私の経験談は地球科学という分野を専攻した理工系大学院生の一例として受け止めて頂ければ幸いです。
私の略歴:理工系の大学院修士課程修了後、技術職として民間企業に就職。産育休を取得し職場復帰。入社から約10年というキャリアで、会社に在籍しながら博士課程に入学。博士課程標準年限(3年)を2年半超えてから審査を受け、博士号(理学)を取得。以後も現職で技術職、研究職として勤務中。
専攻の決め方、事前研究室訪問
私の修士課程と博士課程の専攻分野は若干異なります。私は育休から復帰後も大学や研究機関とのプロジェクトに関わる中で、仕事を通じて大学院を薦められ、仕事上で関わりがあった先生の研究室を志望して受験しました。研究テーマも、仕事で手がけていたものです。志望した研究室の先生全員と知り合いではなかったので、院試受験の年(入学前年)に、研究室を訪問してお話を伺っています。この研究室訪問時の会話だけでも、修士課程での研究に関わりが深い部分と薄い部分とでは、話の内容や背景の理解のスピード、質疑応答のスムーズさが異なり、修士課程と分野を変えて博士課程を受験する壁を自覚しました。
本来は修士課程の積み上げの延長にある博士課程が一番スムーズだと思います。私の周りでは学生時代の出身大学・大学院に改めてお世話になるパターンも多かったです。
私と同様に、大学院でやってみたいと思った研究内容と出身大学とのつながりが無い場合は、興味を持たれた研究室や先生にコンタクトを取ってお話を伺い、研究イメージを具体化していくのがお勧めです。大学の先生は外部からの問合せメールに慣れているとは思うのですが、初めての先生に直接メールするハードルが高い場合、その先生や所属研究室の方が発表されている学会やシンポジウム等で質問や立ち話をすると、連絡しやすくなります。
多くの大学院では春~夏頃に、現役学生を主な対象とした入学説明会を開催しています。そこで話を聞き、具体的な研究生活のイメージを持つことも良いと思います。
受験に向けて立てた研究計画
大学院入試では、在学年限中に修了要件(論文〇本、国際学会発表〇件など)をどう満たすのか、という計画が問われました。そのため、私は、お世話になる予定の指導教官と事前にすり合わせを行い、博士課程3年間の計画をざっくり月単位で書き出していました。その内容は、成果を報告する学会発表や論文投稿はいつ行うのか、外部施設の利用など他者の協力を求める実験やフィールドワークはいつ行うのか、博士論文はいつからまとめ始めるのかなどです。結果的にこの計画は大幅にずれ込んだのですが、大学院在籍中ずっと手元にあり、ペースメーカーとなっていました。
私が受験した社会人対象の入試では英語の試験はありませんでしたが、事前にTOEICのスコア等の提出が求められる大学もありますのでご注意下さい。修了時には英語の論文や国際学会発表の基準をクリアする必要があるので、在学中にはかなりの語学力の補填が必要になりました…。
気になるお金の話、学費やそれ以外にも
入学前は、子供の将来の学費の貯蓄を考える時に、自分の学費を支払うのかと悩んだことも多々ありました。博士課程入学に年齢制限はありません。しかし博士号取得を仕事に活かしていくとしたら、自分にとってはこのタイミングしかないと思い、入学を決断しました。
決断の次はお金の試算です。学費の金額は大学ホームページに掲載されていたため、想像がついたのですが、それ以上に掛かる費用があるのか、入学前の私は気になっていました。
よくよく調べて気付いた落とし穴は、大学により、休学や長期履修の際の学費の取り扱いが異なることです。私の所属した大学では、休学時は学費不要で、長期履修でも正規の課程(3年)と学費の額は変わらなかったのですが、そうではない大学もありました。もちろん課程内に終えることが目標ではあるのですが、博士課程は長期戦になりがちです。入学前にはこの点を調べておいた方が良いと思います。(指導教官/研究室に重きを置く博士課程では、学費の差で受験先を変えることは困難だと思いますが、支出の想定に役立ちます)
そして大学院在学中は、学会発表の旅費や大会登録料金(国際学会発表時はばかになりません)、論文の英文校正料(英語の雑誌は英文校正に出してから投稿することが条件になっているものが多いです)に論文の投稿料も掛かってきます。この辺りの費用を研究室や所属企業で負担して頂けるかは個々の状況によります。私の場合は、正規の課程中の費用は研究室から、課程を超えてからの支出は都度稟議の上で会社が負担してくれました。
さらに、子供がいることでかかった、想定外の費用もありました。私の住む地域には利用可能なお泊まり保育がなかったこともあり、子供が未就学児の頃は、遠方の学会には子供を連れていきました。これにより、学会開催地の一時保育やベビーシッター、子供の旅費(3歳以上の飛行機代や、未就学児料金があるホテルの宿泊費・食事代など)が掛かったこともあります。ふり返ると、入試から博士号授与までの間、想定していた学費に加えて、これら子供の費用で100万円以上、掛かっていました。
学会会場が大学の場合は学内保育所を紹介して頂いたり、大規模なホテルが会場の場合は、ホテル併設の託児所を利用したり、全国展開している認可外保育園に登録して各地の園を利用したりしたこともありました。全国的に保育所の空きが少ない中、一時保育を受け入れて、短い滞在中に地元の特色がある食事やイベントなどを子供に経験させてくれた保育施設には、大変感謝しています。そして出産前は、支援を希望される研究者の方への保育サービスを探したり、支払手続を担当する保育支援側に居た自分が、今度はサービスを受ける側になったことは感慨深かったです。
仕事と大学院のスケジュール
私の研究分野はコンピューターを利用するものが中心だったので、リモートで対応できたという大前提があります。
実験や生物を扱う場合は、場所を離れられず不規則な対応も難しく、拘束時間は長くなると思います。
私の会社では業務時間の20%程度を大学院通学や研究に充てて良いという支援策(事前審査有)があり、これを利用したため、通学の無い週は1日1~2時間程度、業務時間内で研究を行える権利を得ました。しかし会社の人員配置上、単純な業務量削減は難しいところもあり、本業の効率化にはずっと苦労していました。会社の年間予定から逆算して、業務比重を上げる時期(繁忙期で即レスを強化する時期)と、ある程度研究の比重を上げて過ごして良い時期を分ける対策を行い、職場のメンバーにも時々自分の研究内容の発表報告を行って、研究テーマの意義を理解してもらうように心掛けました。
業務時間外の研究時間についても、私の様にリモートで対応できる研究であれば、体感的に1日2時間までなら、ワーママであっても、朝、昼休み、子供就寝後などチリツモで積んで満たせると思いました。但し、この場合は、自分の休息や趣味の時間をある程度制限する覚悟が必要になると思います。私は大学院在学中、趣味を間引いて、最小限の息抜きにしていました。人付き合いもだいぶ絞りました。まだ手をかけてあげたい子供との時間を少ないながらも守りたかったのも、人付き合いを絞った理由の一つです。
育児と大学院を両立するために心掛けたこと
大学院入学前の時点では子供は保育園児だったので、大学院なんてなんのことやらと理解していなかったとは思いますが、「小学校、中学校、高校、大学の次に大学院があること」、「研究者になりたいこと、研究者になるためには博士号が必要なこと、そのために大学院に通うこと」は都度話していました。
子供の園や学校について、私は会社員という雇用形態が変わらなかったので、必要な手続きはありませんでした。しかし、私が社会人大学院に通学することは子供の保育園そして小学校、学童保育にも伝えていました。いざという時のために実家の両親にも大学院博士課程に通うことは伝えていましたが、結果的には(コロナ禍での大学のオンライン化もあり)通常の保育支援で乗り切りました。コロナ禍以前は子供の病気や学級閉鎖時に病児保育を利用していた時もありましたが、病児保育の開園時間は短く、通常業務の維持が精一杯で、業務時間中の研究時間確保も難しく、通学予定を変更したことも多々ありました。
その経験を経て、発熱時の病児保育利用が難しくなったコロナ禍を機に、私は子供に関する突発事項(発熱などの病気、事故、学級閉鎖等)が起きた際には、研究の筆を一旦置いて対応すると覚悟を持ちました。リスクヘッジとして、平常時にこそ淡々と業務対応も研究作業も進めることを心掛けていました。(喉元過ぎれば熱さを忘れるで、子供が元気な時、園や学校が通常稼働している時にはつい作業の手が緩みがちなんですが)
博士課程の厳しさを乗り越えて、いざ修了
久しぶりのキャンパスライフは最初でこそ懐かしさと新鮮さがあったものの、すぐに修了までのタイムリミットに気付き、その後はずっと博士号審査の壁の厚さに、正直楽しさを感じるどころではない院生生活でした。
フルタイム現役学生(20代前半)だった修士課程と、仕事と育児をしながらでフルコミットが難しい状況(30代後半)だった博士課程という、前提条件の違いは大きいのですが、伝聞では知っていた、'Defense'(防御)と呼ばれえる博士課程修了審査における質疑応答やプレゼンスキルの要求の厳しさは、修士課程と比べて桁違いだということを身を持って実感しました。😨
この厳しさ故に、私は課程の3年を超えるオーバードクターを約2年半続け、更に数か月の審査を経て、ようやく博士号授与となりました。学生時代から長年憧れていた博士号を授与された時には嬉しさももちろんありましたが、正直なところ、やっと終わったという脱力感もあったのは確かです。
社会人博士課程で得たもの
博士課程を終えてふり返ると、得たものが3つあります。
1つ目は、先生方との深い関係です。博士課程入学以前は組織対組織のビジネスライクな共同研究者としての関わりだった先生達との関係が、学費を払って「学生」として関わることで、より深く、より親身になったと感じています。(学生として受け入れるということは、先生も修了に対する責任を担っているというのが大きいと思います)
それまでは遠い存在だった大学や研究機関の先生方とも、博士課程の研究を進めるうえで、一緒に実験やフィールドワークを行ったり、研究に必要なデータの貸し借り等を行いました。このやり取りを通じて、お互いが気軽に相談できる関係性を構築できたことは、今後のキャリアの上でもプラスになると考えています。
2つ目は、研究室で仲間を得たことです。社会人博士課程の経験者の先輩からは「研究室で現役学生たちと関係性を作る」重要性について言われていました。実際に研究室に入ってから、その通りだと実感しました。在室時間が少ない私に対しても、研究室の諸々の連絡をくれたり、学内施設の利用法など不明なことを教えてくれたりと、一回りも上の私に対して、暖かく接してくれた現役学生達には感謝しています。特に、同じ博士課程で奮闘した先輩や後輩とは、苦楽を共にした感覚があり、修了後も互いの研究の進捗を刺激し合う関係です。
3つ目は、研究分野の知見を広げられたことです。在学中に受け取っていた学内の様々な案内は、社内で仕事をするだけでは広げることが難しかった世界を広げてくれるものでした。世界的に著名な先生との雑談会や、科学技術立法に関して行政の方が直接説明を行う会に参加することができました。日程の都合で参加できませんでしたが、大学図書館の活用講座や、ネイティブによる語学力強化レッスン、研究段階の新しい装置の学内利用などの取り組みを知ることができ、知見が広がったのは何よりの収穫でした。
励みにしていたブログへのお礼と恩送り
私が社会人大学院入学について考え、悩んでいた時に、こちらのブログ記事が大変役立ちました。情報学専攻の博士課程(長期履修)の方のブログです。
結果的に私も課程の3年から博士号授与まで3年近く超えた「オーバードクター」となったため、その苦しい時期にも、時折り眺めて励みにしていました。
そんな私が、修了したばかりのタイミングだからこそ、話せることがあるのかもと思い、記録に残しました。私のこの記事も、いつか社会人大学院で博士号取得を目指す方、修了目指して奮闘されている方のヒントになれば幸いです。