マナーって、国会議員が決めるの?
こんな記事が妻から送られてきた。
要するに、電車内での携帯電話での通話を認めてはと、日本維新の会の藤巻健太議員が、斉藤鉄夫国土交通大臣に問い正したというものだ。
あわせて記事内では、街の声や、海外の事情も紹介している。
で、妻がこの記事を送ってきたのは、通話がどうのこうのと言うことではない。
「こんなこと、わざわざ国会で話し合うことか」
と、お怒りなのだ。
確かにその通りで、こんなことを時間の限られた国会の場で税金を使って議論する必要がどこにあるのだろうか。
念の為に調べてみたが、電車内の通話を控えるのは、マナーであって、どこにも法律とは書いていない。
それなら、お年寄りに席を譲らない若者も国会で議論すればいい。
先日あった、「卓球での完封勝ちはマナー違反」についても、早く議論しないと国際問題に発展しかねない。
何を思って藤巻議員がこんなことを質問したのかわからない。
記事によると、海外では電車内での通話は普通のところが多いようなので、インバウンドに合わせて国際化しようとでも言うのだろうか。
そもそもマナーというのは、その国の文化でもあるわけで、先日もこんなニュースが流れていた。
中国から観光で訪れた家族がレストランで食事をした後に、大量の食べ残しがあった。
シェフは料理が口に合わなかったのかと心配したが、実はこれが中国でのマナーらしい。
食べきれないほど満足でしたと言うわけか。
しかし、だからと言って、日本でこれをやるのはどうだろうか。
僕は、子供の頃から米粒一つ残さずに食べなさいと教えられてきた。
それぞれの国のマナーを尊重するのが、マナーというものだ。
ひとりひとりは一生に一度か二度しか日本にやって来ない外国人に合わせる必要はない。
「海外の慣習も良いところは真似てもいいけど、サル真似になっては意味がない。
『郷に入れば郷に従え』という諺もお忘れなく」
とは、妻の言。
藤巻議員は、小声での会話は認めるべきだと主張しているようだが、別に国会で認めなくても、小声なら大丈夫だと思う人は、今でも小声で話せばいい。
法律じゃないんだから。
みんながそれを認めれば、それが新しいマナーとなっていくだろう。
でも、往々にして、携帯での会話は、大きな声になりがちだけれども。
そもそも、本来なら国民の主体的な生活の中で時間をかけて培われる筈のマナーを、国会議員が国会で議論するということは、非常に危険な香りもする。
まるで、向かって左上の国のようだ。
もしかして、電車の中でも携帯電話で話したいというどこかの団体から藤巻議員に陳情でもあったのだろうか。
とにかく、国会ではもっと議論するべきことがある筈で、議員がいっぱいでもう聞くことがないと言うのなら、議員を減らせばいい。
こんな野党だから、とつい思ってしまうのは、僕だけでしょうか。
今が千載一遇のチャンスなのにね。