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僕が生まれた理由を知った頃

今から50年ほど前、同棲ってのは、とてもとてもエッチな響きだった。
結婚してもいない男女が一緒に住む。
やることはひとつやん。
当時10代の僕たちが興奮したのには、映画の影響もある。
由美かおるで映画化された「同棲時代」の予告編に、男子はかじりついた。
予告編では、由美かおると仲雅美の、そのシーンが、ほぼそのシーンだけが流されていた。
多分他のシーンもあっただろうけど、そんなものはアウトオブ眼中だ。
その頃は、そんな映像もテレビで普通に流されていた。
それを見た、少なくともその頃10代前半の男子はこう思った。
同棲ってのは、イコールやることだ。
同棲すれば、やり放題。
映画そのものは見たことがないけれど。
ここで、仲雅美が気になる方もおられると思うけれども今はスルーする(スルーするーのシャレではありません)。
今では、
「同棲してます」
と聞いても、
「ああ、そうなのね」
としか反応しない。
女性タレントも堂々と公言する時代だ。
僕の娘も、同棲を経て結婚した。

さて、その同棲というワードに鼻血が出そうなくらいに興奮する少し前に、僕は男女のことを知った。
知ったと言っても、経験したわけではない。
自分が、どうして生まれてきたかを知ったのだ。
つまり、父のナニがどうなって母のナニにどうしたらこうなったということを知ったのだ。
知った経緯は覚えていない。
本で読んだのか、誰かに教えてもらったのか。
それが、当時としては早かったのか、遅かったのか。
小学校6年生の秋だった。
その秋に、修学旅行で伊勢方面に行った。
その頃によく流れていたのが、南沙織の「哀愁のページ」
だから、今でもこの曲を聞くと、僕の中には、男女のことを知ったときの感動、そして、修学旅行の旅館で聞いた波の音が重なって蘇ってくる。
「みんな女の子は哀しみが好きよ」
女の子って大人だなあと思った瞬間でもあった。
そして、やがて来る卒業の寂しさがひたひたと押し寄せてきた時でもあった。


※老婆の日常茶飯事さんの記事に触発されて書きました。

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