24時間テレビと障害者
なんだかんだありながら、今年も24時間テレビは放送された。
なんだかんだありながら、やすこはマラソンを走りきった。
そんななかで、こんな意見をネットで見かけた。
障害者を取り扱うのなら、パラリンピックを中継するべきではないのか。
そうだ、そうだと賛同する声も多かったようだ。
でも、アスリートとしてパラリンピックに出場している選手と、24時間テレビが支援しようとしている障害者は同じなのだろうか。
もちろん、同じ人間であり、同じ障害者だ。
しかし、あそこでパラリンピックを中継すれば、パラリンピックの選手を障害者の代表のように扱ってしまう、あるいはそのような印象を与えかねない。
あの舞台で金メダルを取ることが、障害者のめざすところだと。
僕は詳しいことは知らないが、24時間テレビが支援しようとする障害者は、パラリンピックには出ないが、日常生活をなんとか普通に過ごしたい、そんな障害者だと思うのだ。
そこに、パラリンピックの選手を並べることは正しいのだろうか。
障害者だって、やる気になればあそこまでできるじゃないか。
できないのは、甘えているからだ。
そんな風潮をうみかねない。
もちろん、これは間違っている。
大谷翔平を健常者の代表として、あそこまでできないのは、お前が怠けているからだと言っているのと同じだ。
イーロン・マスクに比べてお前は、なんて職場で言われても困る。
パラリンピックは、障害者がアスリートになったのではなく、アスリートが障害者だったと考えるべきだ。
もちろん、個々のいきさつはそれぞれあるだろう。
中には、障害を負ったが故にアスリートを目指すようになった人もたくさんおられる。
それぞれの活躍には尊敬の念しかない。
ただ、それが、障害者の唯一の道ではない。
彼らの存在は、障害者だけではなく、全ての人の励みになる。
パラリンピックの多くの選手も、障害者に対してメッセージを送っている。
それは、それぞれの人がそれぞれの人生で、勇気を持って一歩を踏み出す価値がある、そんな意味のはずだ。
障害者でも頑張ればみんなパラリンピックの選手のように、自在に身体を動かせて、車椅子を操作でき、脅威の持久力を発揮できる、そんなことではない。
しかし、悲しいかな、世の中にはそうは解釈しない人もいる。
だから、24時間テレビがパラリンピックを中継しなかったのは、意図したことかどうかはわからないが、結果的には正しかったと思う。
誤解のないように。
僕は、パラリンピックの選手に支援は必要ないと言っているわけではない。
これは、あくまでも冒頭の意見に対する僕の考えだ。
実際に24時間テレビで、障害者がどのように取り扱われたのか、同番組が、障害者にどのような支援をしているのか、僕は見ていないので知らない。
それって、あなたの感想ですよねと言われれば、そうです、ごめんなさいとすぐに論破されてしまうだろう。
知らんけど。
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