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夭折って何歳まで?
若い頃に、憧れたもののひとつに夭折がある。
夭折の詩人。
夭折の作家。
夭折の哲学者。
レーモン・ラディゲは20歳。
石川啄木は26歳。
中原中也は30歳。
ジェームス・ディーンは24歳。
大場政夫は23歳。
夏目雅子は27歳。
アルチュール・ランボーは37歳だが、詩人としての死は20歳。
とにかく、あげていけばきりがない。
そんな夭折の天才に若い頃は憧れた。
憧れて、天才でもないのに天才のフリをしていた。
よく若い起業家が、天才カリスマのパワハラ的な部分だけを真似して、自分もひとかどのカリスマ経営者になったような気分に浸るように。
そして、何の病も無く、むしろ人よりも健康体である癖に、背中に死の影を漂わせて(と、自分では思い込んで)、ポケットに手を突っ込んで歩いていた。
もちろん、天才でもないので、何を残すこともなく、この歳まで、歳相応にいろいろあるものの元気に育って?きた。
体組成計の体年齢は、10歳以上若い50歳、時に49歳の日も。
何かを始めるのに遅すぎることはないとよく言うが、そうでもない。
もう、高校球児にはなれないし、スーパーバンタム級4団体統一王者にもなれない。
そして、もうひとつ。
この先、何を成して死のうとも、もはや夭折はできないのだ。
でも、夭折っていったい何歳までなんだ。
夭折を手元の辞書でひいてみると、
期待された才能が開花しないうちに、年若くして死ぬこと。夭逝(ヨウセイ)
どうやら年齢制限は無さそうだ。
しかし、問題は「期待された才能」
「期待された才能」がなければ、ただの早死に過ぎない。
半年もすれば、誰も思い出さなくなる。
つまり、どうあがいたって、僕なんかには夭折の資格は、最初からなかったということだ。
あきらめて、少しでも世に蔓延るとするか。
もちろん、「期待された才能」のある人は、夭折なんかせずにその才能を花開かせた方がいいに決まっている。
僕たちが夭折に惹かれるのは、その悲劇性にある。
悲劇は本人の思いと反するから悲劇なのだ。
「期待された才能」のある若い人には、とにかくその才能を花開かせることをお願いしたい。
「期待された才能」より「花開いた才能」のほうがいいに決まっている。
ゆーても。