![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/65855451/rectangle_large_type_2_90c530d4d7b33d118172b994f359c244.jpg?width=1200)
社長が社員に期待する、ということについて
人に期待し過ぎるのは関係性を築く上で好ましくないという考え方があります。
かといって経営者や社員に、上司が部下に対して「期待してないよ」と声を掛けるのもいかがなものかと思います。
マネジメントをする際の期待の取り扱いについて考えてみたいと思います。
期待される側の心理は?
「期待」
言葉としてはごく普通の日常的な言葉ですが、
実際に向き合ってみると、これが中々厄介というか、面倒なことばです。
新明解国語辞典によると
「期待」
望ましい事態の実現。好機の到来を心から待つこと。
とあります。
まあ、そのまんまですね。
上手く行くことを願っている、という意味なわけですが、
なぜ厄介なんでしょうかね。
会社内や仲間内で、敵対関係や競争関係、利害関係などが絡まなければ
誰かが成すことに対して、期待をするものだと思います。
期待される側にしても、そもそも自分自身が上手く行きたいと願っているでしょうし、むしろ「期待してないから!」なんて言われたらガッカリするものだと思います。
本当はやりたくない。
実は上手く行きたいと思ってない。
無理やり押し付けられて不本意だ。
自分には荷が重い。
なんて場合は、「期待されても困る」ということはあると思います。
でもこの場合でも
「期待してないけど、頑張れ」
という声掛けは、
迂闊にはできません。
発破をかけるニュアンスもあり得ますが、
本当に期待してないという意味もあり得る。
受け止め方でモチベーションに何かしらの影響は与えてしまいそうです。
前者の思いでそう伝えたとして、後者の受け止め方では逆効果だし、
後者の意図でも、前者で受け止めれば、功を奏するかもしれません。
しかし、そうした思考のプロセスを把握するのは簡単ではありません。
私が思うに、言葉の丁寧さが大事です。
「君の力ならきっとできる。期待してるぞ!」
「今回はやや荷が重いかもしれない。しかしチャンスだ。期待してるぞ!」
という背景や経緯を考慮しつつ、
且つその認識を相互に確認し合える相互の会話の丁寧さがあれば、
さほど大きな問題にはならなさそう。
そうなると、丁寧さだけでなく、
ここもやはり「関係性の質」が重要になってくると思います。
私は人に期待してきたか?
私自身が社員や周囲に対して「期待」してきたか?と問われれば、
これもまた言語化が難しいのが実情です。
期待なんかしたことない。
と言えば、それは嘘になります。
いっぱい期待してきましたし、そう声を掛けたり、励ましてきたことはあります。
でも、もう少し掘り下げてみると、
期待はするけど、結果にはあまりこだわらない。
というのが近いかもしれません。
結果が芳しくなった時、
「期待に応えられずに申し訳ありません」
なんて頭を下げたりするのはあまり好みません。
失敗の経験は思った以上に大きいものです。
そんな謝罪が続けば、誰もチャレンジしなくなってしまいます。
チャレンジする風土を作ろうと思ったら、
過度な期待は不向きな気がします。
もっとも、
何の反省も分析もなくしれっとされていたら、
それはそれで「オイ、コラッ!」とでも言いたくもなりますが(苦笑)
一方、
私自身は期待されることについてどう思っていたかというと、
「あまり期待されたくないなあ」
が本音でした。
単純にプレッシャーに弱いタイプなのです。
「期待してないぞー」と言われれば、
逆にそれで燃えるでもなく、がっかりでもなく、
ダメ元で気楽に行こうと思うタイプです。
元々の性格とも言えますし、
期待された事案に対する結果によって得た経験に因るところもあります。
こうした背景が「期待」に対する考え方のベースにあるとは思っています。
期待の意味するところとは?
経営者としては、
基本は社員に「期待」した方がいいかなと思います。
ただし期待する「べき」とまではしないくらいが丁度いいかなという感じです。
「いやいや、私は社員に対して常に期待したい!」
という方もいるでしょう。
それはそれでいいと思います。
人それぞれ、会社それぞれです。
いずれにせよ、
経営者が社員に向ける「期待」のレベルというか、熱量というか、こだわりというか、
そうしたニュアンス感については
まさに社員たちとダイアログをしておくというのがよいのではと思います。
大事なのは、議論や要求ではなく
ダイアログとうところです。
自分にとっての「期待」とはこういう意味合いである。
自分にとって「期待する」とはこんな思いである。
一方で「期待」されるとすごく燃える。
「期待」されるとプレッシャーに押しつぶされる。
という言葉の意味合いを互いに探求するということです。
言葉というのは、辞書に書かれた意味だけでなく、
人それぞれに培ってきた、人それぞれの意味があるからです。
その違いを共有しているかいないかの違いは本当に大きいと思うのです。
期待についてのダイアログ
ここで期待についての幹部間のダイアログの一端を
すっごくざっくりですが、記してみようと思います。
パターン1
A「部下に期待しるよ、って言ったらイヤな顔するんだよ。期待されたくないのかね?」
B「なんだそりゃ、期待されて嬉しくないのかね」
C「期待されてなかったら、普通にやる気も出ないだろう」
A「そうだよな。今時の若い奴の考えることは本当わからんよ」
一同「そうだそうだ!」
端折って書いたので、実際にはもっと長い話ですが、
かいつまんで言うとこの内容の繰り返しです。
皆自分たちの思い込みで結論付け、
イヤな顔をした部下の思考や背景、期待という言葉の意味合いを全く考えていません。
もっともこんな昭和のステレオタイプな上司も今時珍しいかとは思いますが、似たようなやり取りは今でもありそうな気がします。
パターン2
A「部下に期待してるよ、って言ったらイヤな顔するんだよ。期待されたくないのかね?」
B「期待されるとかえって緊張するタイプなんじゃないの?」
C「期待されるのがイヤな人って、そういう経験をしたことがありそうだね」
A「息子に過度な期待をして、親子関係が悪くなるってケースも確かにあるな」
B「期待に応えたい人、期待が重荷になる人はどんな経験をしたかちょっと考えてみる?」
一同「そうだね、もっと掘り下げてみようか」
こちらも端折っていますが、
自分の思いこみを一旦置いておいて、
期待が重荷になる部下の思考や背景について考えてみようとしています。
こうした探求が部下に対する期待の仕方の検討にもなりますし、
期待が重荷に感じる部下とダイアログを試みるなんてことに発展するかもしれません。
ダイアログなので、結論を決めるという事でなく、
どんな視点があるか、どんな経験が考えられるか、どんな思考プロセスがあるか、
といったことへの各自の思考を深めて、
自分の思いこみや当たり前とは違う考えを探求することができます。
もし私が社員だったら、
パターン1の上司たちが集まる会社よりも、
パターン2の上司たちがマネジメントする会社で働きたいです。
人の話に聞く耳を持たない人たち、
自分の思いこみや正義を一方的に振りかざして有無を言わせない人たちとは
正直一緒に働きたくないですから。
期待のマネジメント
「期待」は時に人のモチベーションを上げますが、
使い方次第では、逆効果にもなり得ます。
期待するってなんだ?
期待の使い方はどうする?
言葉の意味を統一するのではなく、
それぞれの「期待」に対する思いを相互に理解し受け止める。
そこに違いがあること、違いには理由や背景があること、
「期待」が嬉しい、心地よい。
「期待」がつらい、重い。
それをお互いに理解できている組織を作ることを意識したらいいのではと
私は思います。
こうした組織のマネジメントが出来て行くと、
言葉も自然と丁寧になっていきます。
意に反して「期待」が重いと感じた時は、部下の立場でもその重さも言葉にできるようになります。
その重さを上司が丁寧にが受け止めることができれば、
まさに期待のマネジメントが回り始めたと言えるのではと思います。