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会社の未来を考える~シナリオプランニングとは?~

個人の未来、家族の未来、会社の未来、社会の未来、未来について考えることは結構ありますね。
未来は考えるだけなら簡単ですが、その実現を目指して実際に動くことはとても難しい。
データに基づいて客観的な予測をもってしても、考えた通りには中々なりません。
しかし、人はそれでも未来を考え、予測して備えようとします。
では、会社はどのように未来を考えていけばいいのでしょうか。

未来にどう向き合うか?

希望をもって未来を考え、リアリティをもって未来を予測する。
私はそんなふうに考えています。
そういえば、予測に似た言葉には予想がありますね。
予測と予想の違いを調べてみると、
予測は「測」の字を使うことから客観的に測るニュアンスがあるそうで、
予想は「想」の字から主観的に想うニュアンスなんだそうです。

因みに、ヨソウ(予想)は逆から読むとウソヨ(嘘よ)となるとは、
競馬予想家の名言です(笑)

客観的な予測も大事ですし、私はそうした予測をすることは好きですが、
一方で主観的に考えるのも楽しいです、
予測というよりも予想、いや想像、むしろ妄想と言った方がいいかもしれません。

さて、会社の未来についてです。
会社の未来、言い換えるとこれからの経営計画を考える上で、
シナリオプランニングというワークの経験を綴ります。
例えば5年後、10年後の会社の理想の未来を想定し、
そこに至るまでのプロセスを小説や劇のシナリオのようにストーリーにして作っていくものです。
そしてシナリオは2つ作るのもポイントです。
ひとつはグッドシナリオ。
すべてが上手くいくシナリオで、結果も理想通りの大成功に終わります。
ふたつめはバッドシナリオ。
すべてが上手くいかずに、理想とは異なる失敗の結果に終わります。

そしてこの2つを読み比べて、
成功と失敗の道筋の違いはどこで起こりそうかなどを分析します。
その分析を元に、実施する戦術を考えたり、
失敗から想定されるリスクマネジメントを考えていきます。

さらにこのワークはグループで実施しました。
各自がシナリオを作り、グループの皆で分析を行うことで、
メンバーそれぞれが考える理想のプロセスと失敗の視点を共有しながら対策を考えていくのです。
この共同作業がメンバー間の相互理解に繋がったり、
視点を多角化させることになるので、その精度も上げられます。

次にシナリオ作りのポイントですが、
文章を箇条書きにしないことです。
シナリオですから、ストーリーになっていることが大事です。
自分自身や社員を登場人物として登場させて、
セリフや表情、喜怒哀楽といった感情も織り交ぜて書き上げていきます。

グッドシナリオの場合は、
こうなったらいいな、
こんな言葉を聞けたらいいな、
みんなこんな表情してたらいいな、
そしてこんな結果が実現出来たら最高だな、
と書き連ねていきます。
楽しい未来ですから、気恥ずかしさもありますが書いていてワクワクしますね。
一方のバッドシナリオは書いていてちょっと凹んできます。
うまくいかない、
聞きたくない言葉を想像する、
見たくない表情を思い描く、
あってほしくない結末で終わらせるわけです。

こうしたシナリオ作り、
一見簡単だと思う人もいるかもしれません。
逆に文章を書くのが苦手とか、未来を予想するのが苦手、
という人の場合は結構難しいかもしれません。

実際会社で取り組んだところ、
私は結構スラスラと、しかも長文で書き綴ることができたのですが、
人によっては悪戦苦闘した人がいたのは確かです。

グッドとバッド、どっちが書きやすい?

書きやすいと思う人、そうでない人、
それぞれいますが、
その中でさらに言うと
グッドの方が書きやすい人とバッドの方が書けてしまう、という人にも分かれました。

実を言うと
私は断然バッドの方が書けました。
書きやすいわけではないんです。
ただ書けてしまう。
リスクに敏感というか、心配性というか、
悪いことへの想像力の方が高まる傾向があるようです。

シナリオプランニングにおけるバッドの程度というのは、
計画通りに進まなかった場合というレベルでのバッドなのですが、
私の場合は、本当の本当に最悪の結末を想像してしまう。

上手くいかずに計画を下回ってしまった、というレベル感でいいものを、
社会からの孤立、一家離散、
挙句の果てに自分自身がビルの屋上に・・・
なんてシナリオを書いてしまって、皆からドン引きされてしまったほどです。

書いていて楽しいわけでは決してないんですがね。

ただこの想像力が、
逆に決してそうなってはならない!
絶対に上手く行かせてみせよう!
という原動力にもなった気がしなくもなくはないので、捉え方ひとつなのかもしれません。

これもまた人によって、
グッドはいくらでも書けるが、バッドはちっとも思いつかないなんて人もいます。
ある意味うらやましい気質だなとも思います。

こうしたそれぞれの人の考え方や気質の違いが垣間見えて
相互理解が深まっていくという効果もあったと思います。

グッドシナリオは本当に実現するのか?

このシナリオプランニング。
もう10年程前に私と幹部社員3人と初めて取り組みました。
皆それぞれあれこれと考えながら書き上げてきたものを
ひとりひとりが順番に声に出して読み上げました。
そしてこのワークを勧めたコンサルタントさんがひとつのシナリオに統合してくれました。

皆がそれぞれに描いた5年後の我が社がひとつのシナリオとして出来上がったのです。

コンサルタントがそれを声に出して皆の前で読み上げてくれました。

聞いている皆の顔をみると
黙って目をつむって聞いている人、
つい口元が緩んでしまっている人など、表情はそれぞれ。

私はというと、
その情景を思い描きながら聞いていましたが、
だんだんと嬉しさがこみあげてきて、
実現してもいないシナリオにも関わらず、
聞き終わった後に思わず目から汗が滴ってきていました。

純粋にシンプルに、こんな5年後を迎えることが出来たらいいなあ、と心の底から思えたのです。
おそらく皆もそうだったと思います。
そりゃそうですよね。
皆の「こうなったらいいな!」がひとつになったストーリーなのです。
その通りになって嬉しくないわけがない!

まあ、その後色々あっての5年だったわけですが、
実際に5年経ってみてそのシナリオを読み返してみました。

すると「なんということでしょう!」

結構いい感じにその通りになっていたんですよ!

未来を描くこと

実現の精度で言えば個人的な感覚では7割、いや8割かな。
もちろん想像して書いた情景やセリフについては
全くその通りというわけではありません。
しかし、全体の筋書きから言えば結構実現したなあというのが実感です。

未来を描くというのがいかに大切で、そして価値があることなのだと感じさせられました。

もちろんシナリオを書きさせすればいいという訳ではありません。
グッドシナリオとバッドシナリオを検討として、
起こり得るバッドに対してどのような手を打っておくか、
グッドに対して、それが実現するためにはどんな策が必要か、
それらのために、まず何をして、何を止めて、どこに力を入れて、どんな順番が最適で、
そんなより具体的なディティールを明らかにして、
具体的な課題や打ち手、期間を幹部間で共有し、手分けして行動し、
逐次お互いに振り返りをしながら軌道修正を行いといった
まさにマネジメントが問われるプロセスがあります。

しかしこうしたマネジメントを実行していく際に、
根底となるシナリオがあるかないかで、その精度には大きく差が出たであろうことは分かります。
さらに言えば、
そのシナリオそのものが、誰かに押し付けられたものではなく、
私自身、幹部のひとりひとりが自ら実現したいと願ったシナリオであった、
ということが大切であったことは、言うまでもありません。

私一人が描いて完成させて、社員に訴える方法もあります。
ただそのやり方だと、社員からすれば社長からの指示によって動くことになります。
全社員で、とまではいいませんが、
部下を持つ幹部社員にも自らの未来を描いてもらい、
それぞれの未来を言葉にして共有して、
そして皆が共に進んでいきたいと思える皆の未来として描いていく。

その過程では、自分たちが、という視点だけでなく、
伝えられる社員にとっても価値を感じられる視点も持って取り組む。
皆が自分事として感じられるシナリオとして考える。
シナリオというからには、皆が感動できるかどうかを大切にして考える。
こうした視点と姿勢で取り組むことに大きな意味があったと思います。

こうしたプロセスを社長と幹部がともに進んでいけるための、
日頃からの対話の時間の確保と
その対話そのものが充実した時間となるようなファシリテーションの技術があってできたということも、
付け加えておきたいと思います。

こうしたシナリオプランニングのワークがもっと多くの会社や組織で活用されるといいなと、
それが社員一人ひとりのビジョンとなって推進力となって、
会社というものが成長していけたらいいなと、
私は思っています。

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