赤信号で渡りますか?
東南アジア出張中に気付いたのは、殆どの"歩行者"は、信号のシグナルが赤でも、"車に気をつけて"渡っていくということです。これまで色々な国の街を歩いてきましたが、赤信号は『周囲の状況に注意しながら、渡れるなら(自己責任で)渡る』がグローバルスタンダードだと感じます。
ところが、幼少の頃から、"赤信号=止まれ"がルールであることを厳しく指導され、刷り込まれて来た真面目な日本人は、『赤信号は自己責任で渡ってもいい』というグローバルスタンダードだと言われても戸惑うし、そういう行動はなかなかとれません。
実は私自身もそうで、割と頑なに信号を厳守するタイプでした。今でも規則を破る後ろめたさはありますが、海外では現地に準じた行動を取るようになりました。きっかけになったのは、アメリカ駐在員時代の経験です。
頻繁に出張していたニューヨークで、当時の上司が赤信号を平気で渡っているのを目の当たりにしました。ほぼニューヨーカー全員が同じ行動スタイルでした。その方は、仕事の進め方が割と杓子定規で、ルールやしきたりにも煩いタイプだったので意外に思い、理由を聞きました。その理由とは、「目の前の信号が赤信号ならば、片側から来る車だけに注意すればいい。だったら、さっさと渡ってしまうのが合理的だろ」というものでした。
ニューヨーク、マンハッタンのミッドタウン付近は碁盤目状に道が走っていて、東西に走る道にはSt.(Street 丁目)、南北に走る道にはAve.(Avenue 番街)と名前が付いていて、車の流れは一方通行になっています。例えば、有名な5番街(fifth Ave.)は、北→南、その隣を走る6番街(公式にはAvenue of the Americas)は、南→北への一方通行の道ですし、ビリージョエルのアルバムタイトルにもなっている52丁目(52nd st. 邦題は『ニューヨーク52番街』となってますが…)は、西→東、その一本北を走る53丁目(53rd st.)は東→西行きの一方通行になります。
なので、片側から来る車だけをケアすれば、事故に遭う確率はほぼない、というわけです。この考え方は合理的なもので、当時は素直に納得した記憶があります。逆走してくる車がないとは言えませんが、その場合は周囲の車が全力でクラクションを鳴らして警告してくる筈なので、そもそも道を横断しようという判断にはなりません。
世界中、目の前の信号が赤でも道路を横断していいと法律で定めている国はおそらくない筈ですし、赤信号でも渡ってもいいと法律化を求めるようなおかしな人達もいないでしょう。信号違反は法に反する行為なので、赤信号で道を渡った結果、事故に遭遇したり、警官に咎められて罰金を払わされても、自己責任として同情や情状酌量は得られないのは当然です。
だから、リスクとリターンを見定めて、覚悟を決めるだけの話なのです。が、ルールはルールと諦めて、ノーリスクの赤信号でも杓子定規に青信号を待つ日本人が多い気がしています。いや、ひょっとしたら、赤信号は渡らないのが常識であると信じ込んでいて、何の疑問すら感じていない人もいるかもしれません。
ビートたけしのギャグである、「赤信号、みんなで渡れば、怖くない」は、日本人気質を現わしており、かなり深い内容を含んでいると感じます。交差点で誰かが赤信号を渡る動きをすると、追随する人が必ず出ます。一人、二人と渡り始めると、元々は渡る気持ちのなかった人まで動き出す時があります。誰も動かない時には、じっとしているのに、誰かが口火を切ると、同調者が続出するというケースが、日本ではよくあります。
日本社会では、あたかも集団で赤信号の道を渡るような行為で、正当なルールの方を譲歩させ、違法的な行為を正当化させてしまっているケースもあります。個人の善悪判断よりも、集団の空気に左右される… このあたりに日本特有の問題が潜んでいそうな気がします。