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夢とは何か?

昨夜(2024/5/7)Zoom Meetingで、色々話す機会がありました。その際に、『夢とは何か?』というテーマを今一度掘り下げて考えてみたい、と思いました。強固な結論がある訳ではないものの、現時点での考えの一端を記録に残しておこうと思います。

夢とは軽々しく扱うべきではないもの?

幼い頃、周囲の大人たちから「将来の夢は何?」と聞かれることがしばしばありましたが、当時の私がどういう答えをしていたのか、まるで覚えていません。本音を隠して自分の気持ちを偽ることをさして苦にしない私のことなので、大人たちから合格点を貰えそうな答えを捻り出して、それらしいことを言っていたのだろうと想像します。しかし、見事に記憶がありません。その時口にしていたであろう夢は、自分が長い時間かけて心底考え抜いた末に絞り出したものではなく、その時の気分で空気を読みながら適当に偽装していた可能性が高いので、覚えていないのもまあ当然かもしれません。

ちょっと頑張れば達成できそうな願望や希望や予測を、単なる羨望や憧れを、自分が大切にしている夢だとは考えたくはなかったし、事情を知らない相手に軽々しく説明したくなかった、という気持ちは確かにありました。夢はそんな軽いものであってはいけないだろう、と。

ただ実態としては、全てを犠牲にしても貫きたいような強烈な夢は抱いていなかったし、そういう夢がないことが少なからずコンプレックスだったので、本気で考える根気もなかったの、というところだと思います。

バーナード・ショーのことば

「そもそも夢ってなんだろう?」と改めて考える機会が貰えたのは、ラッキーでした。
● 憧れの職業に就くことは夢なのか? 
● 夢とは無邪気な子どもの頃にしか描けないものなのか?
● 目標と夢の違いは何なのか? 
「夢とは何か?」というポピュラーな問いに対して、嘘偽りなく真摯に答えるのはなかなかに難しいことです。

1925年にノーベル文学賞を受賞しているアイルランド出身の劇作家、ジョージ・バーナード・ショー(1856/7/26-1950/11/2)が、こんなことばを残していました。

“This is the true joy in life, being used for a purpose recognized by yourself as a mighty one. Being a force of nature instead of a feverish, selfish little clod of ailments and grievances, complaining that the world will not devote itself to making you happy. I am of the opinion that my life belongs to the whole community and as long as I live, it is my privilege to do for it what I can. I want to be thoroughly used up when I die, for the harder I work, the more I live. I rejoice in life for its own sake. Life is no brief candle to me. It is a sort of splendid torch which I have got hold of for the moment and I want to make it burn as brightly as possible before handing it on to future generations.

これこそが人生の真の喜びであり、自分自身が力強いものとして認識する目的のために使われることです。病気や不平の熱狂的で利己的な小さな塊ではなく、自然の力であり、世界はあなたを幸せにすることに専念しないと不平を言います。私の人生はコミュニティ全体のものであり、私が生きている限り、そのためにできることをすることは私の特権であると考えています。死んだら徹底的に使い果たされたい。一生懸命働けば頑張るほど生きられるから。私は人生を喜ぶ。私にとって人生は短いろうそくではありません。とりあえず手に入れた立派な松明のようなものなので、できるだけ明るく燃やして、後世に残していきたい。

George Bernard Shaw

ショーは、夢について直接的に語っていませんが(和訳が拙いですが)、「夢とは何か?」という問いに対する答えを考える上で、なかなか示唆に富んでいると感じました。

自分の夢は、他人から与えられたものでは絶対に駄目だと思うし、叶えることが凡そ不可能な突飛なものでもよくない、と思います。簡単には捨て去ることが不可能であり、揺るぎなく目指し続けられるものが夢なのではないか、ひょっとしたら、夢を達成することが必ずしもゴールなのではなくて、そういうものを見つけ出して、磨き上げていることこそが夢の本質なのではないか、という気もしています。

小さな夢をリスト化し、吐く

夢をそれほど深刻に捉えず、達成したいと思える夢から片っ端から考えて、書き留めて、リスト化しておくのはいい方法なのかな、という気もします。夢を叶えるために行動し始めることが大切で、いつか叶ったらいいなと願うものにしない方がいいのでしょう。

そして、夢リストを作成したら、恥ずかしがらずに誰かに夢を語ってみる、夢リストを誰かに晒してみる、ことも有効なのかもしれません。昔、教えられたことばに「吐くと叶う」というものがあります。夢を周囲に語ることで、夢を意識し、その実現に向けた行動を始められ易くなる効果がありそうです。夢を知ってくれた仲間が、自分の夢を叶えるように働きかけてくれる幸運にも出会う可能性もあります。ひとりで夢を温め続けるのは難しく、やがて蒸発し、跡形もなく消滅してしまうかもしれません。私にも、かつては確実に存在していた筈のアイデアが、今では全く記憶に残っておらず、既に思い出すこともできなくなってしまったものが幾つもあります。育とうとしている夢を掬い上げてくれる仲間がいれば強い味方になります。

ただ、夢を実現するためには、自分自身が動く必要があります。願うだけで簡単に実現してしまうようなものを、夢だとは思えないでしょう。


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