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忘れてはいけない日に… 2024

阪神淡路大震災発生から、今年で29年の月日が経ちました。もうそんなに経ってしまったのかという思いが年々強くなります。当時の記憶はどんどん薄れがちですが、一年でせめて今日だけは、「忘れてはいけない日」として記憶を甦らせ、自然災害、人の運命、人生…… などに想いを巡らせたいと考えています。今年も、現時点での気持ちを綴っておこうと思います。


復興した街に思うこと

現在の神戸市街地に、当時の地震の爪痕を感じさせるような光景は殆ど残っていません。震災直後に起こった火災の影響が甚大で、戦後の焼け野原のようになってしまった長田区のエリアも、今では新たな建物が並び立ち、すっかり生まれ変わりました。

2019年11月に会社を辞めてすぐコロナ禍が日本中を覆い、行動自粛と解除の数年間がありました。松本に暮らすようになった今、ゆっくりと神戸の街を訪れて過ごす機会は減りました。昨年息子と電車の旅の途中で泊まったのと、今年の正月、深夜の高速バスに乗る為に短時間だけ滞在したぐらいで、気分的にも、距離的にも、神戸は遠い街になってしまっています。

とはいうものの、学生時代の4年間と会社員時代の2年弱を神戸の街で暮らした経験は、今でも私の大切な宝となっています。神戸に足を踏み入れると、自然に「ここは自分の地元」という感情を抱きます。苦難を乗り越えて、完全復興を遂げた神戸という街、そこに暮らす人々を誇らしく思います。

復興を信じていた

1995年1月17日の出来事には、今でも複雑な思いがこみ上げます。その場にいなかったとはいえ、テレビの画面を通して飛び込んできた、多くの崩壊した建物、倒壊した阪神高速や阪神電車の高架、燃え盛る新長田の街、の光景は、しばし呆然とさせるに十分なインパクトでした。

ただ、絶対に立ち直るだろうという強い確信も同時にありました。相手が自然災害であれば、特定の誰かに憎しみをぶつけることはできません。当時の政府の対応には批判もあったし、心無いことばを浴びせる人や傍観を決め込んだ人もいたものの、神戸という街が決して復興を諦めないだろうことには、何の疑いもありませんでした。当時は仕事が忙しく、頻繁に神戸を訪れて支援活動ができた訳ではありませんが、月日を経るごとに、力強く復興していく姿を体現し、頼もしく思いました。

今年1月1日には奥能登を震源地とする大地震があり、多くの方が亡くなられ、今も行方不明者がおられました。その後の余震や津波によって倒壊した家屋も多く、今も避難所生活を送る方々もおられます。自然災害に遭遇するリスクは、日本という国に暮らす者の逃れられない宿命として、普段から覚悟しておかねばならないのかもしれません。ただ今回も、能登地方が、危機に見舞われたことに負けず、奮起して立て直す流れになると信じています。

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