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『林住期』を目一杯愉しんでみる

本日は、『林住期』についてです。


「人生100年時代」は地獄だと思った

「人生100年時代」ということばは、すっかり社会に定着しました。私が、この問題を真剣に考えるきかっけになったのは、リンダ・グラットンとアンドリュー・スコットの共著『LIFE SHIFT』を読んだことです。ベストセラーになった本なので、読まれた方も多いかもしれません。

私はこの本を読んで衝撃を受けました。読み終えた後の第一感は、「そんなに長く働きたくないよ……」でした。暗澹たる気分になりました。

今の日本社会の制度や仕組みは、人間が100年生きる前提では設計されていません。現在の社会保障制度は、これから先もそのままの状態では維持できそうにないし、そうとわかっていれば、制度が完全に崩壊する前に大改革が行われることは明白でしょう。

長生きには金がかかる…… 
年金はあてにならない…… 
しっかり長く働いて貯蓄に励み、資産を確保しましょう…… 

そういった印象操作がじわじわと浸透しつつあります。未来に怯えながら、悶々と現実を生きていては、人生が面白いとは感じられません。

70代で死んだら「早死に」と言われる社会

現代は、生命を脅かされるリスクが格段に下がっていて、100年以上生きることはもはや珍しいことではありません。70代で亡くなった人が、「早死に」と言われてしまう社会に私たちは生きています。

私が子供の頃に大きな社会問題だった公害問題 ~大気汚染、河川や海の水質汚染、土壌汚染、騒音・振動、食品や薬品中毒など~ は、技術や科学の進歩によって引き起こされたものでありながら、後にはその弊害を抑えたり改善したりする技術が台頭し、状況は格段に改善されました。それに伴って、公害発生を監視・制御・処罰する社会制度も整備され、そこそこ機能しているように感じます。

大惨事を巻き起こす自然災害にしても、発生する頻度や時期までを完全には特定できないものの、事前予防対策の強化、事前予知技術の進歩、防災対策の強化によって、救われる命が確実に増えています。

人々の健康に対する意識は向上していますし、提供される医療技術もどんどん高度化し、かつては不治の病と考えられた病気からも生還できるケースが増えてきています。人命を奪う原因の上位を占めていた交通事故や、世間を騒がす凶悪犯罪も件数的には減少傾向にあります。

人類は、征服することが困難だった命を脅かす事象をも乗り越える方法の開発に着実に成功し続けています。今の日本は簡単には死ねない時代であり、望んでいないのに100年以上生きられてしまう確率が高まっている社会、と言えるのではないでしょうか。

経済的問題の解決法は働くしかないのか?

私は「生きている事が無条件で尊い」という価値観を信奉していません。長生きイコール幸福とは、どうしても思えないのです。むしろ、「自分が心底命を賭けられる対象もなく、無為に過ごす”だけ”しかない人生には生きる価値などない」という少年ジャンプ的な価値観の方を支持しています。

予期せぬ長生きをしてしまった場合に抱える問題…… それは健康とお金に関するものでしょう。

重要なのは、健康寿命の長さです。人生を愉しむ為には、心身共に健康であることが前提になります。私は、寝たきりや思考能力が喪われた状態での延命は受け容れ難いです。

生きていくのにお金がいるのは定説です。国の提供する老齢年金制度に期待できないのは事実でしょう。私はこれまで会社員として働いて生計を立ててきました。会社員人生を延命することは可能でしたが、その生き方を捨てました。会社員として働くことに魅力を感じなくなり、一時立ち止まって考えてみたかったのです。将来のお金が心配だからと惰性で働き、今を我慢して楽しみを先送りし続ける人生は嫌だ、と心底思ったからです。

世の中の識者は、長生きすることで抱える経済的、精神的リスクの解決法に「年をとっても働く」を提唱しています。が、私は少々懐疑的です。

社会や組織から求められ、本人が「働きたいので働く」という選択は全然ありだと思います。しかしながら、私と同じように、働き続けることに対して暗澹たる気持ちになってしまう人だっていそうです。仕事に伴う責任の苛酷さ、残酷さ、煩わしさを身に染みて知っているからこそ、私は安易に「働くのが楽しい!」とは言えないのです。

若者は、中年・老年世代が職場に居座り続けることを歓迎するでしょうか? 私は甚だ疑問です。「老兵は死せず、ただ消え去るのみ」でいいじゃないか、と真面目に思っています。

無駄に長生きしないという決意

私は経済的な問題に対して、「無駄に長生きしない」という解決策で対処する覚悟を決めています。後20年だけ生きさせてもらい、72歳で人生を終えられるように人生を設計し、今から準備をしています。

私は、家族以外から存在を必要とされていないし、何か価値あるものを背負っている人間ではありません。極力社会に迷惑をかけないように言動と行動を慎み、周囲に感謝の念を抱きながら、ひっそりと過ごすことが願いです。これまで一生懸命働いて税金を納めたことに免じて、後20年くらいは自由に生きることを許容して欲しい、と願っています。

自暴自棄でも、捨て鉢でもなく、大真面目な気持ちから考えています。

古代の知恵、人生区分に従う

私は、紀元前2世紀から紀元後2世紀くらいに古代インドで確立したと言われる「四住期」という考え方を信奉しています。中国の陰陽五行説にも似たような区分があります。以下の通り、人生を四つに区分し、それぞれの時期に相応しい生き方があるという教えです。

■ 学生期(0~25歳)➡ 青春
■ 家住期(25~50歳)➡ 朱夏
■ 林住期(50歳~75歳)➡ 白秋
■ 遊行期(75歳~100歳)➡ 玄冬

この考え方は、五木寛之氏の著書で知りました。私は年齢的に林住期を生きています。氏の著作「百歳人生を生きるヒント」によれば、

仕事や家族の一員から卒業して、社会的活動をやめ、林に庵を結び、人生を思索する「林住期」(P50)

とあります。今の私は、人生の秋、ひっそりと思索に入った段階だと考えています。その先に訪れる「遊行期」は私には不要な時間です。「林住期」を目一杯堪能することを目標にしています。



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Markover 50〜人生後半戦を愉しむ
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