名伯楽の失敗事例から学ぶ力
今日のテーマは、名伯楽と言われる人の失敗事例についてです。
名伯楽でも全ての逸材を成功させることはできない
例えばスポーツの世界では、その指導経歴の中で優れた選手を何人も育て上げた実績のある指導者を『名伯楽』と呼ぶことがあります。
名伯楽(めいはくらく):
すぐれた資質を持った人を見抜く力のある人物。「伯楽」は、古代中国の伝説的な馬の目利きの名前。
ー weblio辞書
一見どこにでもいそうな平凡そうな人物が、名伯楽とされる指導者に資質を見い出されて指導を受け、一気にスターダムを駆け上がっていくシンデレラストーリーは、爽快な気分にさせてくれるものです。現状燻っている人にも勇気を与える要素が詰まっていて、希望を与えます。
しかしながら現実問題としては、そういった一般受けするサクセスストーリーの陰で、優れた才能がありながら十分に目をかけてもらえなかった選手や秘めたる才能を見い出されることなく埋もれてしまった選手も確実に存在するだろうと思っています。
名伯楽とて人間なので、選手との相性の良し悪しや指導に割ける時間的制約だってあります。長い指導歴の中で、育成に失敗してしまった逸材や見落としてしまった才能が間違いなくある筈です。
名伯楽は潰してしまった才能をどう考えているのか?
私が名伯楽と呼ばれる人から是非聞いてみたいのは、自らの育成方法の問題から潰してしまった才能に関する話です。名伯楽には、優れた選手を育てた実績と豊富な経験があるので、明確な指導方針や優れた育成ノウハウが存在すると思われます。加えて、日進月歩の競技動向や最新指導理論にも注意を払い、指導能力のアップデートにも余念がない筈です。
成功した事例は世に出るケースも多いものの、指導した選手が、溢れ出る才能に見合う程の実績や名声を残せなかったケースは埋もれてしまって、ほぼ目にすることはありません。
その選手が大成しなかった原因はケースバイケースだとは思います。しかし、その現実を名伯楽自身がどう分析し、その後の指導にどう活かしていこうと考えているのかを記録に残すことは、非常に意味があると思うのです。
失敗事例に謙虚に向き合えるから名伯楽
同じ指導方法を取っても、大きく伸びる選手もいれば、花が咲かず挫折してしまう選手もいます。華やかな経歴を誇り、名伯楽の評価を欲しいままにしている人にとっては、潜在能力を引き出せずに埋もれさせてしまった選手の事例に真摯に向き合うのは、プライドが許さなかったり、苦痛を伴います。大成しなかった理由を、選手の資質や姿勢に求めがちです。世間もその説明で納得しがちです。
しかしながら、本当に優れた指導者は、失敗事例に謙虚に向き合えるし、成果を残せなかった選手の立場に寄り添って、自らの指導力の限界を認める勇気を持ちます。目指す目的をぶらさずに、変えるものと、絶対に変えないものがはっきりしている印象もあります。
自らの指導者としての能力の限界を把握し、失敗から学ぶことが出来るから、味のある名伯楽になれるのかもしれません。