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自由競争社会の本質

本日は、ビジネス社会で長年揉まれ、現在人生3回目のモラトリアムを謳歌している私が、ちょっとだけ背伸びをしたテーマを考察します。

競争相手が変質する

英国は階級社会で、社会的階級が世襲されて何代にも継承されてきたことから階層が固定化していると言われます。社会の底辺に位置する労働者階級の家庭に産まれた子どもは、基本的には一生を労働者として働き続け、労働者階級のまま終わるのが運命だとされています。

野心と気骨のある男の子が、その定められた運命から脱け出すには、サッカー選手かロックスターになるしかない、という話があります。私も、小説や映画などを通して幾つも見聞きしました。

ところが、労働者階級脱出を目指す少年達の希望であったサッカーやロックが社会的に認知され、洗練された成功物語が実感できるビジネスモデルとして確立してくると、上流階級家庭出身の天才サッカープレーヤーや名門大学出身の高学歴バンドマンが登場してきました。突如従来の競争相手とは違う世界からライバルが参戦してくるわけです。

彼らは、自分自身の嗜好で許される選択肢の中から「勝機あり」と踏んでその分野に進んだのでしょう。彼らは、労働者階級出身の少年が、社会的に成り上がる可能性を阻む壁になるのです。

実社会では、どの分野で何をやっても成功しそうな才能に恵まれた天才が、凡人の唯一の得意分野での成功の可能性を消しにきます。「興味があることをちょっとやってみただけ」の天才の能力が、長年その分野に人生を賭けてきた凡人の夢と生活を残酷に踏み躙るのです。「雑魚は底辺でちまちまやってろ……」と言われているようで、憤懣のぶつけどころがありません。

共産主義革命を信じた労働者やトランプの支持者は、既得権益に胡座をかいている腐敗した上流階級を一掃して社会全体を変革したいという熱量よりも、夢を潰されて絶望的な未来しかない自分の運命を一発逆転させたい、という淡い希望だったのではないか……、というのが私の見立てです。

強い人をより強大にする自由競争の残酷性

どんな分野でもガチで闘い続ければ、最後は強い人が勝ち残ります。何をもって"強い"とするのかは様々ですが、単発ではなく、勝ち残り続けるには、他者を圧倒する優れた何かを持っていることは絶対条件です。

そして勝ち残り続ける本当に強い人同士は無駄には競わないし、無意味に戦って潰し合わないどころか、意気投合して強者連合を組みます。強者連合はパイを公正に分け合うことも知っているし、搾取対象から搾り取り過ぎると自らの破滅を招くこともよく知っています。コミュニティのルールは彼らの価値観に合致するように設計され、整備されていきます。

かくしてその競争分野内に強固な秩序が出来上がります。自由競争の最終形、なれの果てです。学校内、企業内、産業内、日本社会、みんなそんな感じだと思います。

強者連合は、その支配と秩序を息苦しいとか、古臭いとか感じる新しい個人や集団から挑戦を受け、攻防戦が起こります。歴史はその繰り返しです。

ロマンを持って叫ばれる「維新」とか「革命」は、弱者が一発逆転を目指して起こす極めて確率の悪い手法ー博打ーであり、確度はよくありません。

本質を知っていれば

以上が自由競争社会の本質だとすれば、守るべきルールは『自分が不利になるような場違いな場所では戦わず、身の丈に合わない戦闘をしない』です。

自分を知り、自分が身を置くコミュニティのルールを知り、競争のルールを知れば、簡単には負けません。完膚無きまでに勝ち切ることは無理でも、身の丈を超える挑戦をして、破滅の道に突き進むことは避けられるでしょう。

他人から求められ、自分も満足のいく適材適所で全力を尽くせば、まるく収まります。自由競争に挑む為のマインドセット、準備を怠らないことが私の課題です。


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