あの人が教えてくれるもの⑦:升田幸三
『あの人が教えてくれるもの』の第7回は、将棋棋士、升田幸三氏(1918/3/21-1991/4/5)です。遺した名言の数々、型破りなエピソードに心を惹かれる素敵な人です。
最高の頭脳を持つ天才たちが集う将棋界
将棋の世界で、プロ棋士になれるのは天才中の天才だけです。そんな最高の頭脳だけが結集する将棋界の中でも、何年かに一度、突出した才能と圧倒的な強さを有する若者が彗星のように現れ、話題を集めてきました。
加藤一二三、中原誠、谷川浩司、羽生善治、渡辺明…… そして、その選ばれし天才スター棋士の系譜は、現在大躍進中の藤井聡太二冠(棋聖・王位)へと確実に引き継がれています。
そんな個性の塊のような天才と勝負師たちが蠢く将棋界の中でも、圧倒的な個性と存在感で異彩を放ち、今も多くの棋士やファンから慕われている名棋士がいます。第16/17代名人、升田幸三九段です。
伝説の数々
升田氏の歩んだ人生とエピソードの数々は、優れた作家が生み出す架空の物語のキャラクターをも凌駕するスケールを誇ります。
広島県の田舎の農家の四男生まれ。子どもの頃に負った怪我が原因で、夢見ていた剣豪の道に進むことを絶たれ、最初の挫折を経験します。失意の中、幼少期から親しんだ将棋で一旗揚げることを志し、14歳で家出をします。家を出る際に、母の使う物差しに墨で書き残した「この幸三、名人に香車を引いて勝ったら……」のことばに、並々ならぬ決意がみなぎっています。
大阪に出た升田少年は、木見金治郎八段の門下生となります。入門後しばらくは下積み生活が続き、なかなかチャンスを掴めなかったものの、1943年2月に25歳で初段に昇段すると、めきめきと頭角を現していきます。歯に衣着せぬモノ言いと既成の定跡には囚われない自由な発想、『新手一生』を信条とする個性溢れる棋風で、稀代の人気棋士へと上り詰めていきます。
破天荒エピソードの数々
残っているエピソードは、まったくもって破天荒です。Wkipedia他に記されている所によると、
型破り過ぎて、どれだけ個性豊かな人なんだろうと思ってしまいます。実際に付き合う人や、支えた人はさぞ大変だったろうと思います。それでも、今でも慕う人が多いのは、人間的魅力に溢れ、心底憎まれてはいなかった証拠でしょう。
関わった人々
升田氏にとって、将棋は人生の全てでした。升田氏を取り巻いた棋界の人々は、多種多様、超一流の人たちばかりです。
● 才能を見抜いてくれた”王将”坂田三吉、
● 初代実力名人で無敵の強さで君臨した木村義雄、
● ”東の塚田、西の升田”と並び称された同世代のライバル塚田正夫、
● 同じ木見門下の後輩で生涯の宿敵、大山康晴、
才人は才人を呼び寄せると言います。彼らの存在があったからこそ、升田氏も極限までの努力を行って精進に励み、高みへと上っていけたのでしょう。
名言の数々
升田氏は、心に響くどきっとする名言を数多く残しています。勝負師のことば、自分の頭で考え抜く人のことば、信念を持って生きている人のことば、だと実感します。歴戦を切り抜けてきた勇者のことばは重く響きます。
『人生は話し合い』
そんな珠玉の名言を数々残している升田氏が、NHKの番組で対談した鈴木健二アナウンサー(当時)に「人生を一言にすると?」と問われた際に、間髪入れず「人生は話し合いだと思う」と答えているのが心に残ります。
「将棋を指すのも話し合い。話し合いがないというのは人生から外れている」と続けます。意外だし、新鮮でした。とても重いことばだと感じます。
サポートして頂けると大変励みになります。自分の綴る文章が少しでも読んでいただける方の日々の潤いになれば嬉しいです。