名伯楽に師事したが成功できなかったら
数日前のnoteで名伯楽について書いていったところ、当初考えていたのとは違った方向に向いてしまったので、リベンジしてみます。
名伯楽をキーワードに考えたかったこと
「名伯楽」というキーワードから考えたかったのは、名伯楽から相手にされなかったり、切り捨てられてしまうような人はどうすればいいのか、という点です。
私がこれまで名伯楽に師事しなかったのは、自分は師匠から目をかけてもらえるようなタイプではなく、一生懸命に師事しても評価されず、無視されてしまうのではないか? という怖れを持っている、と思ったからです。
自分が名伯楽から相手にされないタイプだったら
名伯楽と呼ばれる人が育て上げた超一流の人材は、名伯楽の指導実績の中での氷山の一角、成功事例の頂点です。その陰には、期待されながらも、その恵まれた才能を伸ばし切れなかった逸材だって無数にいたと思うのです。
更には、名伯楽から大して目をかけてもらえずに燻ったまま終わってしまった人たちもたくさんいたと思うのです。故・野村克也氏の例でいえば、【無視】レベルを抜け出せなかった人たちということになります。
成功を夢見て、名伯楽の門を叩いたものの、狙った結果が出ず、不満を感じた時にはどういう行動をとるのがベターなのでしょう。
最終的には自分次第なんですが… 名伯楽との接し方
前フリが長くなりました。以下は私なりの考えです。
大前提として、狙った結果が出ないのは自己責任です。自分の不甲斐なさを棚上げして、名伯楽に責任をなすりつけるのはお門違いです。
人を育てるという仕事は、自分の時間を他人の成長の為に使う仕事であり、神経もパワーも擦り減らすハードワークです。本気で指導すればするほど、名伯楽自身の人間性も相手に曝け出すことになりますから、衝突したり、反発を受けることもあります。常に真剣勝負で人と接する仕事なので、好きでないと続けられない仕事だと思います。
名伯楽は、普段からハイレベルな人材と接しているので、指導を受ける側の人間に要求する人間力の水準が非常に高い可能性があります。自分が名伯楽のお眼鏡にかなう水準に達していないと思うしかありません。以下の姿勢さえ出来ていれば、少なくとも邪険にはされないと思いたいところです。
●名伯楽の人間性・指導方法を理解している
●目標が適切で、名伯楽に求めるものがはっきりしている
●受けた指導を咀嚼し、愚直に継続できる
●素直に話を聞ける
●裏表なく、自分らしく自然体で振舞う
最後の「自分らしさのアピール」は危険も伴います。が、ここは無理しない方がいいと思います。自分の個性を押し殺して名伯楽に迎合するのは、最終的にはデメリットになると思います。事前のリサーチをしっかりして、対人寛容度が低そうな名伯楽は選ばない方がよいでしょう。
もし、自分が無視されていると感じるのであれば、名伯楽の目線で、
●こいつに時間をかけても意味がある、
●こいつと関わることが巡り巡ってメリットになる、
●こいつと接しているのは楽しい(面白い)、
●こいつは俺を信じて頑張っているので見捨てられない、
と思われていないからだろう、と思います。
では、距離を置いてもよい名伯楽は?
上で述べたような努力を一切せずに、名伯楽と呼ばれる人が自分に本気で向き合ってくれていないことに不満を抱くのはお門違いです。本物の名伯楽は、自分を慕い、ひたむきに努力し続ける人を簡単には見捨てません。きっと能力に応じた指導を施してくれるはずだし、学びもあるはずです。
とはいえ、ひたすら無視されている、言葉や態度に全くやさしさや愛が感じられないという師弟関係ならば辛すぎます。相手への不信感が積もっていくと普段の表情や言動や態度に現れてしまうので、関係が好転する筈もなく、負のスパイラルに落ちていきそうです。
狙った結果が出ない場合の理由として考えられるのは、弟子側の
●目標設定自体が不適切
●覚悟が足りず、努力量不足
●努力の方向性が間違っている
●気質が指導方法とミスマッチ
ではないかと思います。自分では気付いていなくても、きちんと指導に向き合っている名伯楽ならば、うまくいっていない問題を発見し、改善策を一緒に考えたり、アドバイスできる能力があると思います。
にもかかわらず、その事実を自分に対して的確かつ適切に一度も指摘してくれないのであれば、距離を置いても問題ないだろう、と思います。
「指導のプロ」としての役割を放棄している訳なので、本当の意味での名伯楽とは呼べないと思います。関係を切ることが、お互いのためです。師事する前の自らのリサーチ力の甘さを反省する他ありません。