おおらかに、朗らかに、
今日から2月(如月)です。昼間はそこそこ暖かかったものの、夕方から急速に冷え込み、寒い夜になっています。本日は、偶然に思い浮かんだフレーズ、『おおらかに、朗らかに、』をテーマに、強引に膨らませて語ってみようと思います。
意味を確認してみる
語感に流されて、勢いでテーマに掲げたものの、念の為「おおらか」「朗らか」について、辞書的意味をおさらいしておきます。
どちらも、明るく、ポジティブな印象を与えることばのようです。音感が気に入って並べてみました。周囲から、おおらかで、朗らかなイメージを持たれている人というのは、概ね好かれていて、人気者でしょう。長年努力して、そう振る舞っている人もいれば、自然にそういう雰囲気を醸し出している人もいます。
理想と現実にはギャップが
冗談抜きで、私も「おおらかに、朗らかに」毎日を過ごしたいと思っています。ただ、現実問題としては、そのような振る舞いを四六時中維持するのは至難の業です。ともすると苦虫を嚙み潰したような苦汁の表情になったり、自分の精神を守る為に心を閉ざして覇気のない無表情になったりしがちです。
「おおらかに、朗らかに」過ごせる毎日は、私の理想とする日々だとわかっています。そう決意して目覚めた朝は、これまでにも無数にあったように思います。どうせなら陰湿で暗いイメージでいるよりも、活発で明るい雰囲気を漂わせておいた方が、得をする場面にも多く遭遇することでしょう。辛気臭く、不機嫌な空気を放出している人は、なるべく遠ざけたいと考えるのが人情です。
とはいえ、わかっていても実行できないのが、私のよくない性です。今はかなりマシになっていると思うものの、内面に葛藤や憤懣や心配事を抱えて気分が塞ぎがちだった頃は、たまに機嫌好さそうにしていると、不思議がられたり、不審がられたりしたものです。残念ながら、「おおらかに、朗らかに」は、当時私に関わってくれていた人から見れば、到底似合わないキャッチフレーズでしょう。
諦めずに努力する
とはいえ、一見無理ゲーに見えても、諦めずに努力するのは大切な態度だとも思います。たとえ自分に染み付いたイメージには似つかわしくなくとも、1㎜でも近づけるように工夫を凝らし、長い時間をかけて徐々に改善していくことは無駄な努力にはならないと信じます。「見た目から改善する」に真剣に取り組まず、サボり、怠ってきたことは、私の一番の失敗だとも思うのです。
これから更に年齢を重ねていけば、見た目は確実に老けていきます。普通にしていても敬遠されがちな初老のオッさんが、不機嫌な表情や傍若無人な振る舞いをしていては、益々周囲の人々から遠ざけられるばかりです。「人生後半戦を愉しむ」という高尚な目標に掲げているのに、第一印象で避けられ、不機嫌を周囲に撒き散らして距離を置かれ、そのことで更に不満を募らせていくような悪循環は避けたいところです。
「おおらかに、朗らかに」は、かなりハードルの高い目標ではあるものの、2024年の努力テーマとして常に意識してみようと思います。最初は痩せ我慢でも、毎日続けていれば、少しずつ内面の充実に繋がり、やがて思わぬ幸運が舞い込むかもしれません。神でも、仏でも、縋れるものには、全て縋っていくと決めています。基本的態度として、『おおらかに、朗らかに』を大切にしたいと思います。