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「いい人」は受け取り方が難しいことば
本日は、他人から自分を評される言葉として「いい人」と言われるのにモヤモヤ感があるという問題について、思考を掘り下げてみます。
「いい人」と言われる資格がない
私は、世間一般的に考えられている「いい人」からは程遠い人間です。わがままだし、マイペースで人への気配りはできないし、義理・人情もあまり弁えていない不届きものだからです。
それを裏付けるように、見事なくらい、人徳や人望がありません。「善い人」あるいは「好い人」と形容される要素がまるでありません。
「いい人」= どうでもいい人 では?
実際の所、自分に無理を強いてまで、相手から「いい人」と思われようとは考えていません。好き好んで嫌われたくはないので、それなりの注意は払ってはいますが、「いい人」と思われなかったしても、それ程のショックや落ち込みはありません。
私が無理をしてまで「いい人」と思われたくない理由は、「いい人」の前に「どうでも……」というニュアンスが付いているような気がするからです。もしも「あなたはいい人ですね」って言ってくれるのを聞いたら、私はこう感じます。
その方にとっての私は、特に関心のない「どうでもいい人」なんだよなあ。まあひどいマイナス感情も持っていないし、特に問題がある人とも思っていないから世間体もあるし、無難に「いい人」と言っているんだろうな。
歪んで屈折した考えかもしれません。
よく知らない人から「いい人ですね」と言われたら、無論「ありがとうございます」と頭を下げて、感謝の気持ちを示します。でも、私は相手を深く観察もせずに「いい人」という無難な表現で済ませようとするのは、些か軽率過ぎる気がします。相手を「いい人」と形容しておけば、その人の本性に深入りすることを避け、人間関係で無用な軋轢を生まずに済みます。それはわかるのですが、極力別の表現で形容するように心掛けています。
「いい人」は便利な言葉なので危険
「いい人」は、使い勝手がよく、とても便利な言葉です。今日も日本中で交わされる会話の中に「いい人」は何度も登場している筈です。
私の歪んだ感覚とは違って、心の底から尊敬と愛着を込めた褒め言葉として「いい人」を使っている人がいるであろうことも承知しています。私も素晴らしい人格の持ち主に「いい人」ということばを使ったことがない訳ではありません。心の底から敬服する相手を讃えるのに、「いい人」という表現がしっくりくる場合はあります。そのような「いい人」まで穿った見方をするのは相手に対して、大変失礼な行為なのかもしれません。
それでも、私は自分を「いい人」と形容されると、どうやら悪感情は抱かれていないと安心する一方で、「あなたは(どうでも)いい人」と言われているように感じてちょっと複雑な気持ちになってしまうのです。
お互い「いい人」と思っていればOKの関係が殆ど
この人にとって自分は「(どうでも)いい人」だと思われているな、と感じる経験は、日常生活で無数にあると思います。円滑な社会生活を送るには、95%くらいはそれでいいのだと思います。
出会う人、出会う人と濃い人間関係を結ぶことは、まず不可能です。そういうことに一喜一憂して気持ちが揺れていては、毎日疲れ切ってしまいます。適当な線で折り合っていくことが大切だと理解しています。
だからこそ、稀に出会う、少しでも踏み込んで、自分に好意や敵意や興味を示してくれて、「いい人」以上の距離感にきてくれる人の存在はとても大切だな、と思います。
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