名言が与えてくれるもの⑦:福澤心訓七則
本日、旅先で立ち寄った温泉施設の入口の壁に飾られていた額の中の言葉が偶然目に止まり、写真に収めました。
私はこの「心訓」については知りませんでした。早速ググって調べてみると、慶應義塾の創始者にして、一万円札の肖像画でお馴染みの福澤諭吉(1835/1/10-1901/2/3)のものとする説があるようです。
この心訓、大変立派な内容で、思わず背筋が伸びる格言揃いです。
ただ、昭和30年代に慶應義塾大学の職員として働き、福澤諭吉の研究者でもあった富田正文氏(1898/8/20-1993/8/27)に拠れば、これは福澤諭吉の残した言葉ではなく、福澤諭吉の著名を利用した贋作であるようです。富田氏は、最後の心訓に書かれた、"世の中で一番悲しい事は、うそをつく事です"という言葉こそ、この心訓を捏造した偽者は噛み締めよ、と激烈な批判のことばを残しています。
ただ、真贋の問題を一旦横に置いて考えると、この心訓それぞれがよく出来ていて、目にした瞬間、はっとしました。「その通りだなあ… それぞれのことばを噛み締めて日々の処し方に活かそう……」と思いました。しかしながら、改めて読み返してみると、今の自分の価値観からするとかなり違和感もあり、居心地の悪さも感じました。
例えば、"一生涯を貫く仕事を持つこと"は、大変素晴らしいことですが、移り変わりの激しい現代では、かなり贅沢な目標でもあります。自分がどんなにやりたいと強く望んだとしても、その仕事自体が仲間や世間から必要とされなくなれば継続することは叶いません。
また、先天的な障害があったり、求められる能力が欠如していたり、あるいは環境が整わなくて、その仕事をしたくても出来ないことだってあります。よい仕事は、自分の意欲や願望だけではできません。環境にも依存します。
傲慢で身勝手な人間に堕しない為の戒めとして、この七訓は記憶に刻んでおいて損のない内容ばかりです。しかしながら、ここに述べられている内容をそのまま人生の態度として取り入れることは、私は出来そうもありません。これら格言をそのまま実践しようとする高潔な人物を、狡猾に利用する為の支配層の論理を言語化したのではないのか? という疑念が消えません。
10連休の最中に、いささか黒い内容のnoteになってしまい、申し訳ありませんでした。