
ひとりの「草莽」として
本日52歳の誕生日を無事に迎えることが出来ました。これまで私の人生に関わってくれた全ての人たちに感謝です。52歳は私の人生の単なる通過点に過ぎませんが、気持ちを新たに挑んでいきたいと思います。
社会とどう関わるかを考え続ける日々
「仕事」「職業」「会社」「ビジネス」といったものから距離を置く逃避生活に移行して、半年が経過しました。
根っこが怠け者の私が、強制力も拘束力も及ばないような環境に身を置けば、弛んで易きに流れるだろうこと、精神的に不安定になって気分の浮き沈みが激しい日々を送るであろうこと、は想定の範囲内でした。ただ、COVID-19の襲来で、外出自粛を強要され、自由に動き回れなくなる事態までは想定できていませんでした。
この先進む道がしっかりと定まらないモラトリアムな状態のまま漂流し続けることを愉しむには、図太い精神力が必要です。
次に狙うレースを決められない……
長距離ランナーは、狙ったレースで記録や結果を出す為に、レース当日から逆算して、起こり得るあらゆる状況を想定した緻密なトレーニング計画を策定します。調子の山と谷をどこに持ってくるかを意識しながら、日々のメニューを着実にこなしていきます。そのトレーニングの過程で、長所の進化と弱点の強化を図り、地力の向上を図るのです。
選手生命を賭けて挑んだレースで狙った結果が出なかった場合、レース直後はその結果に呆然として落ち込むものの、意外と短期間で気持ちを切り替えて、次の目標に向けて動き出せる場合も多いそうです。
逆に目標を達成してしまい、一定の満足感を得てしまった方が危険なのだそうです。自己満足と燃え尽き感から、次の目標に向けてなかなか始動出来ないこともあるそうです。私の状態はどちらかと言えば後者の方なのかなあ、という気がしています。
幕末に抱く印象
最近は幕末に関する本をよく読みます。これまでも「明治維新」に関連した本を読んできました。でも、あの時代にロマンを感じたり、ワクワクしたりする気持ちはそれほど強くありません。坂本龍馬、勝海舟、高杉晋作、西郷隆盛、大久保利通、岩倉具視、木戸孝允、伊藤博文など幕末の英傑と評価される人物への共感もそれほど大きくはありません。
学校で学ぶ日本史は、「薩長史観」がベースにあります。重要な歴史的事実が隠蔽・改竄されていたり、誇張解釈されていたりすると言われます。通説は、当時の体制側(江戸幕府)が必要以上に貶められていると感じます。
「明治維新」は、クーデターやテロリズムを包含した暴力的な政権交代であり、「勝てば官軍」の典型例だと思うのです。幕末は、暗殺や暴動が横行する殺伐とした時代でもあり、平和に暮らしたい庶民にとっては危険と隣り合わせの結構生き辛い時代だったのではないかとも想像します。
COVID-19は、幕末物語のスタートと位置付けられることが多い「黒船来航」に相当する事件と考えられるかもしれません。となると、ここから日本社会には大きな変化が起こっていく可能性を秘めています。
「草莽」の役割
草莽(そうもう)
民間にあって地位を求めず、国家的危機の際に国家への忠誠心に基づく行動に出る人(草莽之臣)を指す。ーWikipedia
幕末には、身分が低くて、支配層には直接アプローチできない「草莽」が積極的に尊王論・攘夷論などの政治活動に参画しました。「草莽」は、今で言うところの「意識高い系」という感じでしょうか。
大半の「草莽」は、歴史の中で重要な役割を担うことなく消えていったり、利用されて犠牲になったり、埋もれてしまったりしています。個々の志士たちは、大きな物語の中に名を残すことができなかった雑魚たちではあっても、「草莽」が、江戸幕府から薩長連合への政権交代に果たした役割は少なくなかったようです。
これから国難の時代がやってきそうです。イメージで「維新」を叫ぶ勢力も出てくるでしょう。既存の権威が揺らぐと、「草莽」が台頭し易い時代が来ます。令和時代の「草莽」として、私も何か役割を担えれば本望です。
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