『共感資本社会を生きる』を読む
2020/3/5の朝、目的地も旅程も何も決めずに、青春18きっぷを握りしめて家を飛び出しました。家出をした訳ではなく、妻に笑顔で見送られて円満に出発しました。どこへ向かうのか目的地も決めておらず、どこへ行こうという強い動機もなく、電車の中で本を読んだり、見慣れない景色を見たりしたかっただけです。もちろん今や必須となったマスク持参です。
旅のお伴にした、新井和宏・高橋博之『共感資本社会を生きる』は我ながらナイスチョイスでした。読み進めながら、いい本だなあ〜 と。
それぞれが日本社会に対して抱いておられる懸念や考えを的確に言語化する能力には大いに感心させられました。新たに生まれてくるテクノロジーは積極的に利用するものの、革新的ソリューションを展開することを目的にするのではなく、元々日本に備わっている能力を再評価して、呼び起こす為の活動をしているという印象です。
本書を読み進める中で、私が心底嫌っていたのは、近未来に対する"予定調和"だったのだと再確認できました。会社員を続けていった先に予想される未来に全然ワクワクできなかったし、恐怖ですらありました。
この居心地の悪さを我慢しながら年齢を重ねていったら、一層覇気を失った爺さんのような醜態を周囲に晒すことになっていたでしょう。そんな未来はウンザリでした。ビジョンが見えてこないことへの虚無感が大きく、その為に現在を心底楽しめていないことも許せないことでした。
定期的な収入や社会的肩書を失うことよりも、他人に指定された場所で、期待された通りに踊り続けるだけになりそうだった、自分の人生後半戦に心底嫌気がさしていました。
こうやって、モラトリアムの時間を使って、あてのない旅をすることに、どれほどの意味があるのかはわかりません。ただ、労働力を提供し続ける生活の中で喪失したパッションを確実に取り戻しつつある手応えがあります。不確実性に賭けることが豊かさを取り戻すきっかけになりそうです。
あてのない電車旅は今日一日続きます……