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しっかり考えてみる⑤:giftedが果たすべき役割

『しっかり考えてみる』シリーズの第五回は、『giftedが果たすべき役割』についてです。

ロールズの平等主義vsリバタリアニズム

”gifted”とは、”天賦の才”、「後天的には身に着かないずば抜けた才能を持って生まれた人」を意味することばです。

このテーマを採り上げようと思ったきっかけは、岡田斗司夫『スター・ウォーズに学ぶ「国家・正義・民主主義」』(SB新書2016)のP115-121あたりに書かれていたことを読んだことでした。

岡田氏は、アメリカの哲学者、ジョン・ロールズ(John Bordley Rawls、1921/2/21-2002/11/24)の主著『正義論 A Theory of Justice』の記述を引用します(P116)。「ロールズの平等主義」という考え方です。

● 個人に分配された天賦の才は、社会全体の資産と見なすべきもの。
● 天賦の才に恵まれた者は、そのような才能を持たない者の状況を改善するという場合にのみ、その幸運を使って個人的利益を得ることができる。
● 天賦の才に恵まれ、社会的に有利な位置からスタートできることは、単なる幸運であって、自分に価値がある、自分には利益を手にする当然の権利があると考えてはならない。
● 才能とは「努力できる才能」などあらゆるものが含まれる。
● 才能が生み出す利益を分配することで、格差を是正すべきだ。

岡田斗司夫『スター・ウォーズに学ぶ「国家・正義・民主主義」』(SB新書2016)から引用または抜粋

アメリカのエリート層には、「恵まれた人は社会に貢献する義務がある」「それをしないのは強欲であり、怠惰である」という価値観の持ち主が多数いるようです。スーパーマンやバッドマンのようなアメリカのスーパーヒーローが、正義の味方として悪と闘う背景には、この意識があると指摘します。

一方、対立する概念として、自分の能力や努力で手に入れた報酬をどう使おうが個人の勝手であるという自由至上主義的なリバタリアニズムも紹介します。リバタリアニズム優勢の社会では、経済的格差や社会格差が拡大していくことが容認される傾向が強くなりがちです。

能力至上主義への違和感

この話で思ったのは、マイケル・サンデル『実力も運のうち 能力主義は正義か?』(早川書房2021)の能力主義の議論です。

マイケル・サンデル(Michael Joseph Sandel 1953/3/5- )は、思想的に共同体主義(communitarianism)の立場といわれ、ロールズ理論には批判的だとされていますが、本書では、

われわれはどれほど頑張ったとしても、自分だけの力で身を立て、生きているのではないこと。才能を認めてくれる社会に生まれたのは幸運のおかげで、自分の手柄ではないことを認めなくてはならない。

P323

と行き過ぎた能力主義(メリトクラシー meritocracy)には否定的な意見も書いています。

他人が主張しづらい内容

私は、天賦の才に恵まれた人は、社会に貢献する義務があり、得ている利益の一部を社会に還元する義務を負うべきだ、という意見に賛同します。

正直に言えば、若い頃は、周囲への感謝を忘れ、得ている利益を独り占めするのは愚かな発想だとは思っていたものの、「努力する能力も天賦の才である」という発想まではありませんでした。自らの意志で努力できる才能は賞賛されるべき対象であり、そこから生み出される果実は、個人で噛み締めてもバチはあたらない気もしていました。

ただ、ここ日本では、一般的な意見ではない気もします。仮にこの主張を、私が声高に主張したら、「結果を出せない負け犬の妬み・嫉みではないか」という印象を与えるような気がして、自分からは言い出せません。

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