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きものの日

 さっき、追い抜かれざま「おはようございます」と声をかけられて「あ、おはようございまーす!」と、わたしも返した。うちの1階にある店の店長さんだった。爽やかな笑顔で微笑みながら彼女が一瞬、上から下まで鋭く見たのを感じた。わたしはいま自分の放った「・・まーす!」の余韻を心で反芻しながら、ああ今日はきものだった、と思った。

 和装の人が少ないのだから、珍しさで見られるのはもう慣れた。仕方がない、けどわたしが着るのは晴れ着じゃなく日常の一部だから、冠婚にも茶席にも似つかわしくない風変わりというカテゴリーに入れて納得する人が多いんだろうと思う。さっきの女店長さんが典型的なんだけど、風変わりを褒めもぜず否定もせず、でも関心はあるから、見かけると声をかけてくれる機会が増えた。

 きものを着るようになって、初めて世間について知ったことは多い。近所付き合いが苦手なわたしはどうも、世間にちゃんと関わってこなかったんだと思う。

 歩きながら上を見たら、街頭に「渋谷おとなりサンデー」の旗があがっていた。

これにはわたしも、店として関わる予定になっている。

 わたしが和装を始めたのは姿勢を矯正するためで、身体訓練をかねている。いまのように普段着になるまで、装いとしての面白さとかおしゃれを楽しみたいという気持ちで自分を引っぱらないと続かないくらい、結構いろいろ苦労があった。そのうちに、和装をしていると世間のほうから丁度いい距離をとってコミュニケーションしてくれることに気がづいた。

 ご近所付き合いがほんとうに苦手で、話すとけっこう癖のある言動をして後で必ず後悔する。そんなわたしに「きものの人」と思われるのは、なんだかとっても都合がいいきがする。

 わたしと世間のあいだに、きものの日がある。

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