0603:文字は必要なかった
ただの日記です。
とあるサービスに申し込みをしようとして、登録フォームに入力しようとしたら画面全体にバグの様な画像が表示されてしまいました。広告ブロックの拡張機能のせいでまれにそういうことがあるので、またそれかしらと思い、拡張機能を外してみても同じ画像が。それならお問い合わせフォームから問い合わせようとフォームを開いたら、そこでも同じバグ画像。
むむ。どうしよう。そういえば、一度メールが来ていたことがあったから、そのアドレスにメールしてみようと、バグ画像のスクショを添付して送ったら、なぜか「ブロックされました」というGoogleさんの無常なリプライが。
もう登録するなってことかな……?と悲しみを抱きつつ、前にPeatixでイベントに参加したことを思い出し、petix経由でメッセージを送って、いまここです。やれやれ。
登録しようとしてスムーズにできなかったり、何かを購入しようしてうまく買えなかったりすると、「せっかく買おうと思ったのに!」と余計にがっかりしたり怒りが湧いてきたりするので、大きなクレームに発展しがちだな〜、自分でサービス提供するときも気をつけないといけないな……なんてことを思いました。
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昨日ふと考えたこと。
古代ハワイには文字がなく、口伝えに文化を伝承してきました。ハワイ以外にも文字がない文化はたくさんあります。わたしは、これまで文字があるほうが進んでいるというか、非文字文化を持つ人々は遅れているみたいな勝手な認識を持っていたんだけど、彼らは「文字を持たなかった」んじゃなくて「文字は必要なかった」のではないかしら?
というのは、ハワイにおけるオリ(詠唱)は、ハワイ語で表された歌詞があるけれども、高音と低音を織り交ぜたり、クオロと呼ばれる鳥の声をまねる技法などを多用した装飾音を組み込んだりして、音の響きが重要だということ。この「響き」を文字で表すことはできません。
また、オリを唄うとき、もとの歌詞の音節をバラバラにして再結合させるなどして、もともとの歌詞がどんな意味であったのかわからなくしてしまうと、ハワイ大学ハワイアン研究学部の学部長であったカレナ・シルヴァ博士を取材した記事にありました。
オリそのものは、儀式や宴など多くの人前で披露されるものであり、だれでもその美しい調べを味わい楽しむことができます。でも、それが本当に意味するのが何であるのかは、だれもが知ることはできません。本当の意味は、師匠から認められた弟子のみに、秘伝され、知るひとと知らないひとの間には厳然とした区別があるそうです。
フラソング(ないしハワイ語)には「カオナ(kaona)」という隠された意味があることが常で、そういう表現からも、文字として記録することに、意味を見出さなかったのかもしれない。そんなことを考えました。