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ひきこもり日記*できない理由を探してない?
規制のない黄金週間が終わった。
同居人は2泊で実家に帰り(わたしは長いこと義実家にも、熊本の実家にも行ってない)、わたしは劇場にマリオ(映画)を見に行ったものの、ずっと家にこもっていた。
時間はあるのにnoteに向かえない。にこ☆(癌闘病中の猫)が膝に乗ってくるからとか、朝ゆっくり起きて時間がないとか、じぶんに言い訳をしてるのを発見する。
これまでのコロナ禍で、家にいたままできることがたくさんあって、じぶんに向き合っていた時期のnoteとの向き合い方は、じぶんで言うのも変だけど、すごく真剣だった。
じゃあ、規制がなくなった今、わたしの中で何が変わったのだろう?何も変わらないはずなのに、なぜnoteと向き合えないのだろう?
ここのところ毎日更新をされていた方が次々と更新をやめたり、頻度を落とされていたりして寂しく、そしてわたしの気分も外に向かっていた。
楽しくない?なにかわたしもやらなくちゃ?じゃあ何がしたい?文章を書いてじぶんを見つめることがやりたかったんじゃないの?
そんなときミイコさんのこの記事に衝撃を受けた。
この記事の感想文はまた別の機会に書きたいけど、ミイコさんのnoteの記事に対するエネルギーみたいなものに、がつんとショーゲキを受けていたら、それがわかったようにミイコさんから連絡をいただいた。
わたしの記事を読んでくださり、それに対する連絡だったのだけれど、わたしはミイコさんに本題をそらしたような受け答えをしてしまう。じぶんにモヤっとしつつ、でも素直にミイコさんとおしゃべりすることが楽しくてうれしかった。
ミイコさんはいつでも、じぶんとまわりのすべてのことに、丁寧にだいじに扱っていらっしゃる。言葉選びも、相手のことを考えることも。
わたしは飽きっぽいというより、飽きてしまうような義務的な考え方をしてしまうことに気がついた。「〇〇しなければならない」という呪い。
嫁はこうしなくては。
母親はこうあるべきだ。
娘として親にやるべきこと。
note書かなくては。
そこに「やりたくないのはなぜか」とか「楽しむにはどうすればいいか」なんて考えはない。そしてできない理由を探しまくって、じぶんに言い訳をしてる。
少し前に上達の探求さんの有料記事を買ってみた。これもモチベーションアップのために読みたくて買った。買ってよかった。わたしが理論的に考えられないところを押さえてくれてる。そしてエネルギーを感じた。
スピリチュアル的な考えばかりが癖になってるけど、文章チャネリングが得意だ。書いてる時のその人のエネルギーが、文章にのっているのがわかる。それはネガティブだろうとポジティブだろうとエネルギーの大きさとして感じる。
だから、じぶんの記事のエネルギーの大きさがわかって振り返る。
本気はどこへ行った?
そういえば初期に書いたこの記事はプレビュー数が多い。スキの数も多くないし文体もお説教みたいだけど、時間をかけて真剣に書いた。
うまくいかないときは、じぶんに聞く。
「それでもやる?」
決意を試される質問をじぶんにする。
できない理由を探してるじぶんに気付いたら、思い出そう。
「今できることはなに?」
「失敗してもいいからやる?」
答えはエネルギーになって戻ってくると思う。
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