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読書日記*『賢者の愛』山田詠美・友情と復讐といびつな愛
人はなぜ他人が持っているものを欲しくなるのだろう。
そして奪われたら奪い返したくなる。
この本を読みながら、大事なものを奪われたとき、取り返すために人生をささげることが、生きるささえになることもあるのかもしれないと考えながら読み進めた。それはひとごとじゃない感覚だったのです。
冒頭の文章からこころを持っていかれました。
今日、直巳は二十三になりました。そして真由子は、じきに四十五歳の誕生日を迎えます。時のたつのは速いものだ、と彼女は深い溜息をついてしまいますが、まだ少しもこの可愛い年下の男に飽いてはいないのでした。
かつて親友だった女の息子。
親友に父と想い人を奪われ、生まれた男を”自分ひとりのための男”に育てます。その関係は教師と教え子に限りなく似ているけれど、共犯者のようだと笑い合います。
かつての親友は「ちょうだいおばけ」
主人公が持っているものを欲しがります。
「親友だから」という言葉によりかかり、欲しいがままに与えてしまう。そして大事なものを失って初めて「奪われた」と気がつくのです。
ちょうだい。ちょうだい。
うらやましい。
ほしい。ほしい。
あなたのものが。
人から奪い続ける人は、無意識に奪い取っていきます。
気がついたときに、復讐が、はじまるのです。
できるだけ長いスパンでじわじわと、奪い返します。
こころを。
親友の息子を、自分だけの男にする、のです。
自分にはない、と思うことは欠けた意識。
手に入れたとたんに、失うことを恐れたまま、欠けた意識がつきまといます。
奪い返すためにこころを使うのなら、いつまでたってもこころは満たされないし、いびつなかたちに変化して、復讐がぐるぐると回っているようです。
でもそこには友情という強い絆があるのです。
わたしは直巳に対する真由子の愛は純粋だと、思いたい。
奪われたまま人生を終わらせず、ほれた男よりもっと理想の男になった親友の息子がささえになり、美しさに目を細める真由子の姿にうっとりとしてしまいました。
***
谷崎潤一郎『痴人の愛』を下敷きに書かれたこの作品は、全く別の芸術作品になっていて、山田詠美さまの筆力のすごみを実感しました。
終始、脳内が美しい言葉に踊らされ、おしゃべりするように頭の中に入ってきて支配され、渋みのあるワインを舐めるように味わいました。
ほろ酔い気分のまま、最後の1文を読み終え余韻に浸る本でした。
ありがとうございました。
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