ひきこもり日記*焦ったほうがいいのか悩んだ日
春ですね。
コロナという世界を脅かすウィルスが暴れだしてもう1年以上…。
早かったけれど、長いと感じた毎日。
私はこの期間、じっくりと、生まれてきて初めてかもしれないと思うぐらい”じぶんの価値観”を考えた1年だった。
だいじにしたいものは何か。
やりたいこと、そして、やらないことは何か
優先順位をつけてみたら、お金のために…そのお金は自由になるために使いたいと、思い込んでたけど、時間のほうが優先順位が高いことに気がついた。つまりお金のために時間を消費するのではなく、時間を自由に使うほうが、わたしのやりたいことで、優先順位のいちばんなんだなと。
もちろんお金がないと、安心できないけれどコロナのおかげで巣ごもり推奨。リモートはできる(約15年前、バリ島のショップさんと1度も会わずにショッピングサイトを作ったり、日本中のサイトを作った。結果的にやる気にならず、仕事はしなかった。)
失業保険は2ヶ月分、多く支給してもらったし。
2020年3月いっぱいまで、非常勤といえど公務員をやっていたので、税金からいただくお金に、しみじみ感謝した。
じぶんの価値観って、あんまり変わらない。
気になることがあって、それに関する本が読みたいと思ったら、もうその本は本棚にあった。読み返すことで違うことがわかったことがあった。買っておいたじぶんに感謝した。
それから欲しい本は、まずは図書館に行って探した。小説だろうが画集だろうが、まずはその本から、少しでも情報をもらうこと。安易にamazonでポチらないことをやってみたら、積読が減った。
図書館の貸出期間内に読み切って返すことは、本にも賞味期限があることで、わたしにとって、この時期の唯一の締切のように感じて、時間をつかうことができた。また読みたくなったら、もう1度借りればいい。
この1年の時間は、きっと忘れない時間になったと思う。不謹慎かもしれないけれど、わたしにとっては愛おしくてもっと長くこの時間がほしい。おだやかで自由でゆっくりで。そんな時間たち。
でも社会が変わってしまった。
ダンナの会社の単身赴任、制度そのものがなくなってしまうらしい。よく聞いてないけれど、通算20年ほどの別居生活が終わるかもしれない。
ずるいけれど、離婚を考えていた時期は過ぎてしまった。
ここまできたら権利を主張したい。わたしはわたしなりにがんばった。家族という社会を確立するために、ときには精神が方向性を見失いそうになりかかっても守った。
それはわたしの価値観だ。
双子の育児、今でいうワンオペな子育てで、ふたりとも死にかけたりしたけれど、守りたいものは命だった。
わたし自身と、家族の命。
ひきこもりの心はたぶん、どんなに壊そうと思っても崩れないほど居心地がいい。でも流れのまま、”やりたいこと”と”やらないこと”は、変わっていくのかもしれないと、焦っている。
焦ったってしかたがないと思うけど、時間は待ってくれないし、戦略を立てたほうがいいんだとも思う。ひきこもりに戦略があるのか。
少し焦らずに悩んでみようと思う。