ひきこもり日記*こころの病気と向き合うことがこわい
「PONOも思ってるでしょ。死んでくれって」
こんな「NO」と答えるしかない問いをA子から投げられ、投げ返さずじぶんに問う。「わたしは本気で彼女の心配をしているか」
年が明けて決別したと思っていたA子から連絡があった。無視していたら「都合がいい時に折り返してくれると助かる」といつになく神妙なLINEが来た。「明日ね」と返すと「やっぱどうでもいいんだな」と返しが来た。
同居人がいようが、夕食を作らなくてはなんて現実の問題を無視して電話した。
どうやらA子の病気の原因であるお母さんが亡くなられたという。わたしもA子ママから闘病のことを聞いていたからまずそれは悲しかった。
が、彼女の主張は亡くなった母親への恨みの言葉ばかり。
「母親が払っていたA子の高校時代の奨学金を払え」という連絡が来て、初めて母が亡くなったことを知ったという。
繰り返される呪いの言葉。わたしはA子ママがどんなにA子のことを思っていたか、どんな話をしたかを話して聞かせても、母親側なんだな、とじぶんの主張に同意を求めてくる。つまりじぶんの母親がいかにひどいことをしたかということに、わたしの共感とA子への慰めが欲しいのだと思う。
わたしは答える。
「わたしはその場にいたわけじゃない。あなたとA子ママの話を聞いただけ。だからわからない」
頼るべきA子ママがいない今、わたしはA子の母親になって、本気でA子に向かうべきなのだろうか。なにを言っても聞く耳を持たない彼女にあれこれ時間を使うべきなのだろうか。
たしかにわたしがA子だったら、暗闇の中、ひとりで何も楽しくない、何も感じない、つらいだけの毎日で、死にたくなると思う。
だけどA子よ、孤独を選んだのはあなただ。
いつも事実をねじまげ、誰かを加害者にして、じぶんが人を遠ざけてることを選んでこれまで来たのだから。
わたしがあなたの母親なら、違う意味で殴ってでも体と心の治療をさせる。そのために努力をするだろう。それを拒むのなら、なにもしようがないじゃないか。聞くだけでいい?だったらわたしに答えを求めるな。
ぐるぐるぐるぐる思考がまわる。
かつてわたしはこんなことを書いていた。
「つらいね。少しでも痛みとか苦しみが減る方法を考えてね」
そう言って電話を切った後のA子からのLINE
「助けてほしい時、頼ってすみませんでした。もういいよ。ひとりぼっち。寂しいね。死ぬしかありません」
また「NO」としか答えられない問いに、なにも返さずにいる。
向き合う方法を、模索する。
はっきりいって「こわい」
逃げても終わらないことはわかってる。
本気で彼女を思うこと。
じぶんを思うこと。
「こわい」をこえていくことだ。