健康こそが価値があるのに人はそれを失って初めて気付く。
健康診断の結果を聞きに行った。
わたしは国民健康保険に加入しているのだが、年に一度、指定の病院で健康診断を受けることが出来る。有料ではあるが、個人で健康診断を受けるよりはるかに安い。
コロナが拡がる前に受診していたので、結果を聞きに行くのがかなり遅くなってしまった。数か月前の健康診断の結果を今頃聞きに行くのは意味があるのか、ちょっと疑ってもしまうが、せっかく受けたので聞きに行かないのも気持ちが悪い。もし、何か重大な病気に侵されていたとしたら・・・なんていう不安もよぎる(もしそうだったら病院側から連絡くるのかな)。
わたしは近所の産婦人科で受診していた。待合室にいる人たちはおそらく妊婦さんがほとんど。
「あ、わたし違うんです。健康診断で」
と心の中で、聞かれてもいないのに説明しながら、名前を呼ばれるのを待っていた。後ろめたく思う必要はないのに、心のどこかで居心地の悪さを感じている自分がいる。この気持ちはわたしが子どもを授かるとしたらその時まで、もし授かることがなければ一生続くのかもしれない。女性にはずっと付きまとう。妊娠、とか、出産、とか。女性に産まれた以上はそれをやってみたい気持ちは持っている。だが、なにせひとりでできる所業ではない。いや、どうにか頑張ればできるのか?いやまだ現代の医療技術では無理か?・・・なんてひとり問答が始まりそうな脳内。
と同時に待っている皆さんに
「こんな状況で大変かと思いますが、元気なお子さんを産んで下さい!」
と心の中で勝手にエールを送った。幸い、名前はすぐに呼ばれた。
診察室に入ると、サバけた女性の先生が
「完璧!」
とわたしの健康診断結果を渡してくれた。どの項目においてもパーフェクトで難癖のつけようがないと。健康そのものだと笑顔で言ってくれた。ここまで言われると何だか誇らしい。健康である自分が。健康のために何か努力したり我慢したり苦労しているわけじゃない。毎日食べたいものを食べて飲んで、基本的にはやりたいことをやって、それなりに悩んだり苦しんだりすることもあるけれど、好きなようにやらせてもらっている。
あ、そうか。だからか。
これが健康の秘訣なのか。
健康は当たり前じゃない。
いきなり脳出血で倒れたり、発病したり、精神を病んだり、事故に遭ったり、怪我したり、何が起こるか分からない。
だけど健康である以上、自分が健康だと思っている以上は、その価値に気付かない。親だって、友人だって、先生だって、恩人だって、仲間だって、自分の周りの人は健康だって信じて疑わない。失わないと、そのことがいかに貴重だったのかって気付けない。失ったことは何度だってある。健康に戻れた人もそうでなかった人もいる。その度に枯れるくらい涙を流して、気付けなかった自分を悔いて、の繰り返し。どうして忘れてしまうのか、あのときの思いを。
自分が健康だと知って、そのことを思い出して、改めて感謝しなければと思った。
健康な自分に。産んでくれた親に。支えてくれる周りの人に。健康でいてくれるみんなに。
そして親や周りの人が健康であることにも感謝して、こんな時期だからこそみんなに連絡してみようかなと思う。
元気ですか?って。
特に用はありません、って迷惑だろうけど。
トップ画像:ピザ
雨なのにお持ち帰りを選択して、持ち帰り半額なのにセット商品を頼んでしまうのなんでだろ~。昔みたいに何枚でも食べられなくなったのなんでだろう~。でもピザに罪はない。当たり前に旨い。
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