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【2021/2/4】怒られるのはつらい?

38歳になりまして。

怒られることなんて本当に少なくなって、それこそ怒られそうな場面を上手く切り抜けるこすい手立てなんかも学んだり、例え怒られたとしても自分を正当化して精神を保つこともできたり、年を取るって、本当に良いんだか悪いんだかってもんだ。

若い子たちが怒られるのを見て、「そりゃ怒られるわな」って理解できることもあれば、「そこまで怒らんでも」って同情することもある。

年配の方が怒られていると、ただただ見ていられない。

わたしは怒られずにうまくやってきたタイプの人間だけど、それでも怒ってくれた人たちに今はとても感謝している。

前にも書いたけれど、怒るというのはとてもエネルギーがいることで、怒られている方は「そこまで言わんでも」って思うのと同じで、「こんなことで怒るなんて」って思いながら、でも基本的には相手のために怒っている。もちろん、感情に任せて怒る人もいることはいるから厄介なのだけど。まぁそういう人は周りも分かっているだろうから、うまく対応していると思われる。

やっぱり一番怖いのは、普段怒らない人が怒るとき。そうじゃなくても、やっぱり怒りのトーンとか、ひどい時は怒りのオーラが見える時があって、そういうのはとっても怖い。それだけで自分が”やらかしてしまった”と自己嫌悪になるし、こんなミスは二度としまいと思う。

でもそういうのを感じ取れない、逆に感じ取らない「強心臓」の持ち主ー言い方を変えると「空気読めないヤツ」ーがいる。出る杭は打たれるけれど、出過ぎた杭は打たれない。そういう類のヒトは強強強心臓で、ずば抜けて角度の違う面白さを備えてて、無条件に愛されるという離れ業を持っている。だが、そういう人は本当にひとつまみしかいない。

だからやっぱり謙虚さが大事であり、自分を客観視できる力が必要であり、失敗から学ぶべきである。

これはいくら年を重ねても、ずっとずっと精進していかないといけないと言うこと。大人になるにつれ、許されることが増えるけれど、それは単に自己責任だからであって、学ばない人間は自分に返ってくるだけのことで。

だからいくつになっても怒ってくれる人は大切にしないといけない。怒られたときは悔しくて苦しくて言い返したい気持になって、本当につらいけれど、人生においては大切なスパイスであるから。

と、怒られている人を見て、自分を戒めたとさ。

トップ画像: #つらい ストラップ
ガチャガチャ #ハッシュタグつける シリーズの第2弾らしい。本当は #今日も推しが尊い #推せる とか狙いで、せめて #好きすぎてつらい とかだったら良かったけど、”ただの” #つらい が出ちゃったもんだから、本当につらいだけの人になっちゃったよね。でも久々にガチャガチャやって楽しかった。あ、推しのキーホルダーと一緒に付ければ大丈夫なのか!


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