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毛布#1 『変わり続ける人たちへ』

『毛布』と名付けたこのブログを、しばらく書いていなかったけれど、また書きはじめることにした。

わたしは「イラスト作家」として、言葉と絵を中心にした本、作品発表をしている。
最近のお仕事や自分の本をまとめると、結構いろんなことをやっている。
新作や書き下ろしだけでも、7月にTOKYO ART BOOK FAIR出品に合わせて、『自分のことを”女”と思えなかった人のフェミニズムZINE』を発行し、10月頭にはSUNNY BOY BOOKSでのポスター展『想像からはじめるーーSolidarity-連帯-연대ーー』にポスターを出展させてもらった。SETOUCHI ART BOOK FAIRに合わせてイラストエッセイ集『ことば さがす 尾道』を発行、そしてShe is 特集『生理現象をおもいやる』のメインビジュアルを担当させてもらい、なんだかとても、自分でも呆然とするような、交響曲のドコドコ盛り上がっているパートのような日々だった。

この「毛布」をまた書こうと思ったのは、SETOUCHI ART BOOK FAIRではある再会があったからだったけれど、復帰後(?)最初のテーマは何にしようと考えた時に、「変化」ということを思いついた。

というのも、ここしばらくの間に作っているものが、変わる、ということが裏テーマになっていることが多かったからだ。

フェミニズムのZINEも、イギリスでの自身の変化について書いたし、尾道の本も、尾道の地でいくつも「前にすすむ」ということばに出会ったことについて書いている。今回She isでも言葉と絵の連作を寄稿させてもらったが、そこにはやっぱり「変化」というものに対する信頼がある。

わたしは変化というものが好きだ。

きっかけとなるものは別れだったり、旅だったり、出会いだったり。
何かが作用して、あるいはたまりにたまって爆発して、あるいは脱皮して、わたしたちの外界は変わっていく。

もともと「変化」という言葉を使う時には少し慎重になる。何かよくない状態Aがありましたが、色々あって今はよい状態Bです、というのはそれ自体は本人が幸せならいいのだけど、今をよく感じる対比のためにいつかの過去を否定することはグロテスクで、やってはいけないことだ。

どんな瞬間も、固定することはできなくて、どんな瞬間のわたしも、うごめいている。
躍動しているし、裏切る。絶対にはかりしれないものなのだとおもう。変わり続けていくいことを肯定することは、そのまま生命を肯定することだ。
変わらないものなんてない、ではなく、万物は流転している、だ。

わたしの日々の生活はというと、平日は勤め先に仕事に行き、土曜日も時々出勤して、そして週末や夜に制作や納品など諸々をするという生活を始めてほぼ1年半が経った。

ありがたいことに結構いろんなことをやっているのだけど、お知らせのツイートするのも精一杯、寝落ちて朝起きて歩きながら立ち止まってメールを返して、という常に息切れしたような日々が続いていたりもするが、それでも春風駘蕩を目指して日々なるべく心静かに、朗らかに過ごしている。

いま、周りの人を見ていても、変化の時としかいいようがないくらい、皆時をへて、次へと進む流れになるような気がする。

最近の一番大きな「変化」が起こっているのを感じたのは、SETOUCHI ART BOOK FAIRへの参加がきっかけだった。ありがたいことに、いつも印刷・製本その他諸々でお世話になっている中野活版印刷店のブースに、一緒に参加させてもらえることになった。
瀬戸内といえばわたしにとってはまず広島の尾道が出てくる。2年前からご縁をいただき、イラスト地図を制作するためにトータルで1ヶ月くらいは滞在した尾道のことを、前からずっと書きたいと思っていたがなかなか形にできていなかった。
タイミングとしては瀬戸内のこの時しかないだろうということで、ちょっと準備期間は少なかったけれど、準備を始めた。

表紙は活版印刷がいいと決めていた。
(活版印刷といえば、分厚い風合いのある紙にギュウギュウと押しているのが可愛いのだけど、わたしは以前、活版印刷は「東はあまり圧をかけないことが多い」と聞きかじった。それをなんとも粋だと感じ、わたし個人は西の人間だが、活版印刷に親しんだのは東の活版印刷文化のおかげだ。圧が目立たない粋な仕上がりにしたいと思っていた。リソグラフ印刷を愛しているけれど、この物理!って感じの仕上がりの佇まい、インクのカスレなどはやっぱり活版にしかできないのだと思う。出来上がってキラキラ光る1枚目の表紙を見た時は、製作の疲れも相まって涙が出そうだった。)

表紙の紙の色はあさぎ、尾道の海の色に一番イメージが近いものにした。
糸は最初ホッチキスかなと思っていたけれど、糸が可愛いんじゃない?と中野さんに呟くようにいわれ、あっさりと糸製本を行うことにした。体を引きずり新宿のオカダヤ(初入店)に糸を買いにいき、パンチと千本通しを握りしめて意気揚々と製本をはじめたのはいいけれど、結局はそこから高松までもっていって夜な夜なホテルで糸綴じをする羽目になった。

そんな製本トークもしつつ、中身の話。

旅もの、土地ものはとても難しい。
もともとわたし自身が他人の書いた旅行記を読めないというあまりよくない傾向があり、恥ずかしながら、自分の中に、お手本にしたいような旅行記の蓄積があまりなかったというのもある。
さらにいうと、尾道の本を作りたいとおもった動機が「尾道で感じた、言葉にならないあの感じを言葉にしたい」というものだったので、苦労するのはある意味理にかなっていた。だけど何かを作りたいという時は、大抵いつもそんな感じだからしょうがない。

今回苦心した部分は、「フォーマット」のような部分を見つけることだったと思う。文体以前に、本の形が見えるまでに時間がかかった。尾道の観光ガイドが書きたいわけじゃない、愛を高らかに叫びたいわけじゃない、そんなものを作って一体誰が読みたがるだろう、といろんなことがうずまいて、台割や構成が、完成点(※これでいけるなと思うあの瞬間)を突破するまでに時間がかかった。

ぐるぐるしていたわたしは、仕事帰りに知人を夕食に呼び出して、あれこれと話して、何も考えず『深夜特急』のような本にしたい、と言ったら窘められた。
思い入れがある人も多い世界だから、あまり軽く口にすることではない、というようなことを言われ、ではあなたにとっては深夜特急とはなんなのか、と聞いたら「たましいや」と言われた。
熱狂的なファンもいて、自分はそういうわけではない。だけど、あの本をどういう本かと聞かれたら、そう答えるしかない、だそうだ。

彼は続けた。偉大な旅行記にはどこか「旅やその土地に対する謙虚さがある」ということ。わかったようなわからないような、でも、なるほど、と思った。その時点でようやくいくつかの本のイメージが湧いた。それはやっぱりエッセイ集だった。そしてそんな素晴らしいものを書こうとしたらコケるに決まっている。結局自然体で書きたいと思ったことを書くしかない、そんなことだけを決めて、まっしろな画面の前にとびこんだ。

毎回文章を書くときはこんな感じだ。
何も決まってない。だけどイメージだけが遠くにぼんやりとある。
体一つで海に潜り魚や貝を取りに行く海女さんもこんな感じだろうか。
だけどモリで何か大物を仕留めてくるというよりは、身体中にフジツボをつけてザブンと海から上がって、濡れたまま絵と文字を書き始めるみたいなイメージだ。身体中についたいろんなものを丁寧に剥がしたり、剥がさずその声に耳を開きながら、地上で自分の身体を動かして別のなにかを作る。
できるまではわからない。
物理的な締め切りがある時は特に、これは本当に終わるのかという恐慌状態に陥っていることがほとんどだ。

今回は泳ぎながら泳ぎ方を見つける、というような、文体以前にフォーマットを探すような、フォーマットの生成と同時並行で進めるような時間になった。
その出来上がりはどこかで手に取ってもらえたらうれしいけれど、なんとか尾道の本は完成し、(レイアウトの計算をミスっていて、ノンブルがギリギリすぎて断裁の時は神経を使った。)意気揚々と高松へ向かうことになった。

結果的に、この時期に高松に行ったのは自分にとってとても意味のあることになった。だけど最初はそんなことは考えておらず、久しぶりの遠征に浮かれていた。
成田から高松行き、ジェットスターの旅だ。
夜の便にして、ここぞとばかりに眺めの良さそうな窓際の席を指定した。
どうしてもナイトフライトを味わいたかったからだったが、予想していた通り、離陸前にエアストリップを流れるように進んでいく飛行機の窓から夜の空港を眺めるのはなんとも言えない高揚感があった。

SETOUCHI ART BOOK FAIRは、瀬戸内国際芸術祭に合わせて開催されるアートブックの国際イベント。会場は、披雲閣の大書院。文化財でもある披雲閣は、外から見ても内側から見ても美しい、存在に張りがある生きた芸術そのもので、披雲閣を超える「アートブック」なんてそうそう作れないのでは、これは挑戦なのではないか、いや建築と本、比べるものではないか、でも本当に見事だわ、というような本当に美しい場所で、私たちは畳の上での出店となった。
中野活版印刷店の中野さん、ニュージーランド出身の、詩人のジョージ。575の詩を書き、本を中野さんのところで印刷してもらっている。(そしてめっちゃ良いです)
「とりあえずリソ」という即興性のあるチーム名を考え、現地集合で待ち合わせた3人の出展は、今回はチーム戦のようだった。(わたしのイメージ的には時代劇「3匹が斬る」のようなイメージだった。なぜか。)
3人で座る位置を話し合ったり、置き方を変えてみたり、それぞれが持ち味がいかせて、それがブースの明るさになっていたのではないかと思う。(いつも賑やかでしたねと最終日に別のブースの人に言われてはにかんだが、今思えば褒め言葉であったことを願う。)

とても楽しかったのだが、初日。なぜだかとても内向きになっている自分にも気付いていた。普段、出店は大好きなことなので、ニコニコと笑顔溢れる安達茉莉子として楽しくやっている。元気をいっぱいもらって1日を終えることが多い。それなのだけど、初日、どこかうまく自分の本を案内できない自分がいた。
一歩がなかなか出ない。声をかけられない。
初日は正直平日ということもあって人もさほど多くはなく、だんだん心配になってきたのも手伝って、余計にきもちが縮んでしまったのかもしれない。

だけどただそれだけではなくて、不思議な気後れを感じていた。

アーティストの人達の中には、独特の光をまとっている人がいる。生命力ともいうような、生命の流れに乗っているような、うまくいえないが推進力を感じさせる人たちがいる。駅伝選手や水泳選手が流れに乗って前進加速していると見えるように、そういう「勢いのある」人たちがいる。

そういう人たちを見ていると、いじけてしまっている自分を感じた。
いろんなことが浮かぶ。フルでやれていないこと、それに対する引目、気にしないようにしているが年齢のこと、こういう時には必ず出てくる根深いコンプレックス。そもそも、新作を出した直後は大体手負いの獣のように脆いものだ。世界の誰も読まないんじゃないかという気持ちの中で、それも含めて、とても脆弱な形で乗り込んでいたのだ。

お客さんの通りが途切れた時にジョージと何かを話していて、ふと、わたしはこのままでいいんだろうか、と思った。活躍するアーティストは皆、やっぱり努力している。有形無形、何かを維持するのだってすごく大変なことだ。例えばSNSだって、眠いのに何か投稿するのは、コミットするということだ。そういうコミットを維持して、努力して行動して、そして軽やかに進んでいく人たち。
皆当たり前のように次のブックフェアの話をしている。当たり前のように。

恐ろしいことに、自分には無理だと思っていたことが、炙り出されるようにわかった。東京にいる間はまったく気づかなかったけれど、わたしはどこかで、自分はこんなもんだと思っていたようだった。さぼっていたことややれていなかったことが浮かんで、どんどんそれが自分への裏切りになっていく。

これを書いている今となってはもうすでにイマイチ思い出せないけれど、とにかくその時はそういうズーンとした引き潮の流れのような中にいた。

たまらなくなって、これはリセットせねば、と一度外にビールを飲みにいった。
結局飲んでるあたりがシリアスになりきれないわたしらしいが、会場をでて真前にあった屋台は宇宙ビールという名前を掲げていて、ホップをたくさん使っているというビールは、ただ驚くほどにすっきりと、真摯な味がした。

高松の午後の空は恐ろしく美しかったが、広い公園の中でベンチに座り、あまりにも悔しかったので、ノートに書きまくった。
悔しかったのは、自分がこんなにもあきらめてしまっているということだった
安全圏に止まって行動していない、しようともしていない自分に気づいた。
どうしてこんなにも「身の程を知って」しまっているのだろう。
いつのまにかわたしのデフォルトまで滲出している。それはあまりにも恐ろしかった。

身の丈、という言葉を最初に意識したのはもう何年も前、AKBのこじはるさんがインタビューでそう言っていたことだ。
「身の丈にあったことをしたい」というような言葉だったと思うけれど、それはギョッとするくらい異物感のある文字列で目を引いた。
その頃彼女はまだ10代で、絶頂期で、まさにトップアイドルという感じの人だと認識していたから、そんな立ち位置にある人ですら「身の丈」と言うんだと、どんな気持ちでその言葉を使ったのかわかるよしもないが、どこかショックを受け、そしてその後大変な世界を生きている彼女のリアルな言葉なのかもしれないと当時は思い直していた。

時は変わり、今は「身の丈」と言い出す世の中だ。
言葉は社会の無意識の中にあるものを吸い上げる。そして生まれた葉っぱは横っ面を張る。

わたしなんて、臆面もなく「作家」を名乗り、身の丈なんて言い出したら本当に一瞬で場外だ。場外で乱闘するまもなく退場だ。
身の丈、という言葉をきくといつも思い出す言葉に、在日ファンクのハマケンがインタビューで言っていた「あのPV(きず)がなければ自分たちはずっと野良犬のような存在だっただろう」というような言葉がある。それを思い出して、わたしも……と思いながら日々野良犬のように、はぐれっぱなしでも、野良犬のように気高い根性で生きているはずだったのだ。

だけど今回、自分がはっきりと「身の丈」に同調してとらわれていたのを感じた。「身の丈、身の程」という海に引き摺り込む、逃がさない、地獄のような逆ソーラン節は続いている。誰が歌っているのかすらわからないが誰もがどこか加担している。
せめて尊厳を守るために「わたしはわきまえていますので」というところで最後の自尊心を守ろうとする。

悔しかったが、同時に空恐ろしくもあった。東京にいた数日前までは、そんなこと思いもしなかった。ここまでこなかったらきづかなかったんじゃないか、そのままズルズルと無力感の海へ行っていたのではないかと思ってゾッとした。

ビールを飲み干し、ついでにマフィンも食べて会場に戻り、そのあとで2人にもその話を聞いてもらった。なぐさめるわけではなく、話をしてくれた。パーソナルなことなのであまり詳しくは書かないけれど、「そういうのは噛み締めた方がいいよ」と。

そして「いまはそのプロセスだから」という言葉があるよとも言ってもらった。長期的にでもそこにたどり着く。うまくいかないときもあるけど、それもどこかに向かうプロセス(過程)なのだと考えればいい、と。
宇宙ビールが良かったのか、戻ったあとはただひたすら憂いなく楽しく出店できた。(ちなみに、宇宙ビールを販売していたお店の人は、普段は山梨のNAP bed and lounge というゲストハウスをやっているそうだ。とても素敵だったので行ってみたい。)


楽しいというのはすごく大事で、その瞬間その瞬間をクリエイティブに自由にしているということで、とても大事な実感だ。

アートブックフェアでは、他にもいろんな発見があった。
体感的には2~3割のお客さんが海外の方だった。日本語を話せそうにないのに日本語ばかりの尾道の本を買ってくれたり、裏面は全部文字のフェミニズムのZINEを買ってくれた人からメッセージが届いたり。
出展している作家やクリエイターの人と話すのもとても楽しかったし、フォーマットにとらわれないというかそもそも関係ない人たちと話していると、自分がさらさらとアップデートされていくのを感じた。わたしは今場所として日本に夢中で、題材としても日本の土地で吸いあげたものを書きたいし、書いている気がするけれど、もしかしたら発表の場自体は、こういうところに身を置くように、意識的にしていた方がいいのかもしれない。
少なくとも、開けていた方がいい、というのが直感であった。面白いことは世界各地、いろんな場所でおこっていて、風通しよく、そういう場に身を置いてみたい、という気持ちが生まれてきた。なぜなら体が反応している。日本語が読めすぎてしまう母語環境にいすぎる(いすぎた)のも、息苦しくなっていた原因だった。息苦しいというのにも慣れすぎてしまっていた。本当は、言葉がわからない環境にいたほうがいいとずっと言い続けてきたのも、また忘れていた感覚だった。
そして、それは特別なことではなく、ただ何よりも作るものに向かっていればいいような気もした。そしてそれは、きっと、通じる。そんな実感をもらった。

フェアが終わり、高松から弟がいる土佐清水に行った。東京から一番時間がかかるというそこは、海が透明で大きく、夜はキャンプ場に泊まらせてもらって、ものすごく最高の環境で、そこでも仕事をした。
そしてなにを思ったか、翌日、丸一日かけて松山空港から帰った。(地図を見て愛媛の方が近いのではと感じたわたしは、わざわざ飛行機を変更までして四国をほぼ一周することになった)
疲れ果てて、高知から愛媛に向かう高速バスの中ではほぼ寝ていたが、時々目を覚ましても覚ましても、ループしているんじゃないかというくらい同じ緑の風景がつづいていて、まるで小説とかで「産道のような」ものを抜けている感覚、とかでいわれそう〜と、ゆめうつつの中で思った。

そして、それならとてもいい。
変わり続けて、そして生まれ直すように変わり続けていく。
変わるというのは、生きているということだ。
そのほうが絶対にいい。

帰りはひたすら眠っていたが、時々目を覚まして、忘れないようにその時見たものをノートに書いた。ふと気づく。メモがだんだん絵に変わってきている。絵描きの人は、その時の言葉になりようのないすべてのものを圧縮して封印するように、絵を描くのかもしれないと思った。もともと絵を描くなんて思いもしなかった自分からすると、こんなところですら変化するのだ、と不思議に思った。
絵だけではなく、わたしにとっては言葉もそんな感じだ。圧縮して封印したものを、その人の中で広げてもらうためのしるしのようなものだ。そのために、自分の身一つでいろんなところに出かけていく。そうして体に染み込ませて、また作品を作る。そうしたサイクルをずっと続けていきたい。

自信をなくしていたわたしだったが、そういうわけでまた自信とかどうでもいいわ、という世界に戻った。
変わり続けていく以上、自信だってなくすし、落ち込みもする。だけどそれでもこうして長い旅路のどこかで、自分が何をしているのかを思い出せればそれでいい。

行きに成田を離陸して、細やかな光が地上を神経のように覆っているのを見て、そう思った。この光と同じくらい小さな、自分という存在をどこか遠く、他人を見るような気持ちで愛しいと感じた。

今回、気流が生まれる瞬間を感じた。
誰かが踊り始めれば、それに一緒に踊りたくなる人が現れる。そしてどんどんクリエイティブに、自由になっていく。気流はそういう場所に生まれて、上昇する。

身の丈なんて話をするよりも、曇り空の上に突き抜けていく感覚を覚えていればいい。曇り空の上に上がった瞬間の、あの一面の青い空のことを体感として覚えていればいい。

最後に、東京に帰って、中野さんのところで名刺を作ってもらった。活版印刷よりも、もっとたくさん配れるようにリソグラフで刷ってもらった。
「イラスト作家」と名乗っていたけれど、今後は「作家」と名乗ることにした。相変わらず野良犬のようだ。だけど、これからも作品を作っていくし、ほかに呼びようがない。

そんなふうに、変わり続けていく。その一瞬一瞬を肯定すれば、毎日はやっぱり旅の一部だ。

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復帰後の毛布はつい長くなってしまって、ここまで寝落ちせずに読んでくれた人はどれだけいるんだろうかと思う。次回以降はもうちょっとシュッとまとめたい。しばらくは月2回のペースで更新していきたいと思います。

次回は11月24日の文学フリマに出展します。ブース番号はテ27です。

\現在開催中の展示/

・かもめBOOKS「Self-Publishing Books Exhibition The New Doors Books」
セルフパブリッシングの本・出版物を集めた展示に参加させていただいています。
2019年11月5日(火)〜11月24日(日)
※最終日18時まで
http://kamomebooks.jp/gallery/2653.html

・SUNNY BOY BOOKS 「想像からはじめるーーSolidarity-連帯-연대ーー」POSTER EXHIBITION
連帯をテーマにしたポスター展にポスターを描き下ろしました。

現在全国で巡回展開催中です。
http://www.sunnyboybooks.jp/event/solidarity-poster-exhibition/

よろしくお願いします。


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