ショートショート「君が教えてくれた『異世界に転生して魔界の王となった男の物語』の結末を、わたしはまだ知らない」

君の第一印象は、「読書をする男の子」だった。

新入社員としてわたしと同じ部署に配属され、自己紹介の時に「趣味は読書です」と言っていた。確かにその日の休憩時間、お財布と一緒に文庫本を持って外に出ていたようだった。

次の日からも君は、ランチを済ませた後、午後の始業開始まで、自席で本を読んでいることが多かった。

君が持っていた本は、文庫サイズだったり分厚い新書サイズだったりと様々だったけど、いつも本屋さんの紙カバーが掛かっていたから、どんな本を読んでいるか分からなかった。

ある日、「どんな本が好きなの?」と思い切って聞いてみた。

そしたら君は何のためらいもなく、「ラノベです」と教えてくれた。

”ライトノベル”というジャンルに、わたしが初めて興味を持った瞬間だった。


ライトノベルを読んでみたいな、と思って本屋に行ったら、表紙のイラストを直視するのもなんだか恥ずかしく、内容を確認しようにも手に取ることができなかった。それに種類が多すぎて何が人気かも分からず、ちっとも選べずに帰ってきてしまった。

なので、「おすすめのライトノベル、教えてもらえる?」と再び思い切って聞いてみた。

そしたら君はうれしそうに、すぐに3つのシリーズ名を挙げてくれた。

タイトルをメモしながら、どれから読もうかな、と思っていたら、

「とりあえず一番おすすめなの、貸しますよ」

と言ってくれた。

それから、君とわたしの本の貸し借りが始まった。


君が貸してくれた本は、「異世界転生ものがいいな」と言ったわたしのリクエストにきちんと答えたものだった。異世界の魔王に転生した主人公が、魔界の仲間と一緒に国を繁栄させるというストーリー。語り口もカジュアルで、最初の1ページを読んだわたしは、「これがラノベか!」と衝撃を受けた。

好きな世界観だ。好きな文体だ。そしてすでに13巻まで出ていて、まだ完結していないらしい。

しばらく楽しめそう、とわたしはうれしくなった。


2巻ずつ借りて、読み終わったら2冊まとめて返して、また次の2巻を借りる。

同じ部署にいたから、一緒に仕事をしたり、一緒に出張に行ったり、時には雑談をしたり。

合間に本を返して、また借りて。わたしの感想を伝えたり、君の解釈を聞いたりして。

そんな時間がとても心地よかった。君から物語の続きが入った紙袋を渡される瞬間が、とても好きだった。

君のことが好きだったかどうかは、わからない。


13巻を返したとき、「14巻早く出ないかね」と君に言った。

「この作者、出すペースが遅いんですよね」と残念そうに君が言った。

それが君と本の貸し借りをした、最後になった。


一年後、わたしは部署が異動になり、君と会わなくなった。

先月、本屋に行ったらあのシリーズの14巻が出ていた。

君はもう読んだだろうか。読み終わったら、わたしに貸そうかな、と思ってくれるのだろうか。

続きが気になったが、わたしはその本を買えずに帰った。


二年後、君とは相変わらず会っていない。仕事上のやりとりを数回した程度だ。

彼女ができたらしい、と社内の噂で聞いた。同じ会社の女の子と付き合い始めたという。

今日本屋に行ったら、あの物語の15巻が出ていた。帯に「シリーズついに完結」と書いてあって、完結したことを知った。

主人公の男は、最後はどんな国を築いたのだろうか。そして異世界から現実世界に帰ってきたのだろうか。

気になったが、わたしは15巻を手に取れなかった。14巻も買えないままだ。


君が貸してくれるのを待っているのかもしれない。買ってしまったら、君からもう借りることができない。

だけど、君から物語の続きが入った紙袋を渡される、あの瞬間がもう来ないこともわかっていた。

わたしの中で、主人公の男は、まだ異世界で魔王として奮闘している。わたしもまだ、主人公と一緒に異世界をさまよっていたかった。

いつか、どうしても結末が気になって自分で買える時がきたら、読んでみよう。

そんなことを考えながら、わたしは眠りについた。


♦  ♦  ♦


目が覚めると、わたしはふかふかのベットの上にいた。

自分の部屋ではない。ずいぶん天井が高い。おそろしく広く、豪華な部屋だ。泊まったことはないが、ホテルのスイートルームが、こういう感じなのかもしれない。

ここはどこだろう、夢だろうかと思ってベットの上で茫然としていたら、ドアが控えめにノックされて、一人の女性が入ってきた。メイドさんみたいな恰好をしている。同世代くらいの女性だった。

「お目覚めになりましたか、お嬢様。朝食の準備はできておりますよ。」

お嬢様? 朝食の準備??

訳も分からず立ち上がり、壁に備え付けてあった大きな鏡を見る。

そこには、長い金髪に、青い目をして、ドレスのようなパジャマを着た女性がこっちを見ていた。

…え? これが、わたし…?

もしかして…まさか…。

どうやらわたしは、異世界に転生してしまったらしい。

どうしよう。

これじゃあ、本の続きが読めないじゃないか。



#眠れない夜に










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