自分の価値判断が全てではない、良い意味で。
初めてnoteを書いたのは、2021年5月29日。
『メモの魔力』(前田裕二さん著)がローソンとコラボしていたときに、私なりの方法でこのコラボイベントを盛り上げようと思い、書いたものが始まりだ。
もともと書くということが、特にストーリーを書くことが好きだった私は、ブログとも違う、小説の投稿サイトとも違う、この自由なnoteという世界がすぐ好きになった。
読んでくれるのは友達とか知り合い中心だったけど、それも安心だったし、たまに見知らぬ人が「いいね」を押してくれるのもうれしくて、時にゆるゆると、時にがつがつと、思うままに文章を書いていった。
そんな拙い私の記事だったけど、これまで2度ほど、note公式さんの「今日の注目記事」に取り上げていただいたことがある。
▼1本目:ショートショート「人生の書き直し」
▼2本目:子供に追い抜かされる感覚って、それなりに気持ちがいいものだ
それまでは、閲覧数(ビュー)が100いくと「すごい!100人も読んでくれている!うれしい!」と万歳したい気持ちだったけど、まとめに入れていただいた途端、8,000とか、40,000ビューとか越えて驚いた。いいねも、「あなたの記事が10スキを越えました!」とメールが来るとガッツポーズをしていたけど、両方とも200以上いただいて、光栄過ぎて恐縮してしまっていた。
何より戸惑ったのが、自分の中で「渾身の作品だ!」と自信を持っていたものではなかった、ということだ。
ショートショートを書いたころは、星新一賞への応募を目指して、ひたすらストーリーを書いていた。その案のうちの一つが「人生の書き直し」だったのだけど、私はそれを思いつくまま書いただけで、「すごいおもしろいの、書けたぞ!」とはならなかった。むしろ、別の作品のほうが自分なりに良く書けたと思って、そちらを応募した(残念ながら、箸にも棒にもかからなかった。こちらも追ってnoteに公開したい)。
子供に追い抜かされた話も、いつも通り「息子を見て気づいたこと」を書いただけのつもりだ。自分でいうのもなんだが、私はこちら↓のほうがよく書けていると思っていた。(これもそれなりにたくさん読んでもらえている。ありがたい。)
何が言いたかったか、というと、
「自分がおもしろい・良いと思うものを、他の人もおもしろい・良いと思うわけではない」
ということを、私はこの出来事を通じて実感として得た。むしろ、
「自分がつまらない・ありふれていると思っているものも、他の人はおもしろい・良いと思っているかもしれない」
という、どちらかというとポジティブな発見だ。
どんなものも、出してみれば評価は人それぞれ。「自分が心から納得できるものが完成するまで出さない」というのも素敵だけど、一旦できたら公開してみて、市場の評価に耳を傾けてみるのも発見がある。
自分の短所だって、他の人からすれば全然気にならないか、または長所を思ってくれているかもしれない。たぶん大抵、気にされていない。
そう思ったら、noteの投稿も、あまり好きではなかった自分の性格も、少しラクに捉えられるようになった。
これからもnoteを続けていくなかで、書いてよかったな、と思う出来事や発見が増えるといい。
そんな感想で、「今日のお題」の今日の記事を締めくくろうと思います。
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