三世諸仏と三千世界(余談つき)
『三世諸仏』は、『過去』『現在』『未来』それぞれに仏がいることを指します。
一方『三千世界』は、いわゆるアパレル宇宙なのではないかと、私は思っています。それは「多元宇宙」と同じ概念です。
「法華経」では、お釈迦様が舌をとてつもなく長く伸ばして(いかにもインド?)、それが他の世界の仏のもとに届くという逸話があります。お釈迦様と時を同じくして、他にも『ブッダ』が大勢いるのですね。あるいは、永遠不変であるのか・・・。いずれにしても、とてつもなくスケールが大きな話です。
そう思うと、すごく救われませんか?(^^)
さて、ここからは余談になりますが、どうしても描きたいので・・・。💦
映画にもなった筒井康隆著「時をかける少女」の文庫本版に、「果てしなき多元宇宙」という短編小説が収められています。
私たちが存在している宇宙とは異なる『別の宇宙』が幾つもあって、その全てに少しずつ違う自分がいる。その違う自分と入れ替わるというストーリーです。
現在も『違う人と入れ替わる』ストーリーのドラマが時々作られているようですが、それはそのドラマたちとは根本的に違うものです。
どこが違うかというと、最近のドラマでは、現場はあくまでも私たちが今いるこの世界そのままであるということです。
それに対して「果てしなき多元宇宙」のほうは、主人公が違う世界へ飛ばされてしまうのです。電話のダイヤル(昔の丸い回転式)が少なかったり、友達が全く違う性格だったり。
それでは、この場を借りて、私が思っている『多次元宇宙』のイメージを説明しましょう。(借りていいのだろうか・・・。)
ひょっとしたら「多元」と「多次元」とは、似て非なるものなのかもしれませんが。
1次元は『点』の世界・・・そこにもし人がいるとすると、その人はその『点』から何処にも動くことは出来ません。
2次元は「線』の世界・・・人は一本の線の上を行ったり来たりは出来ますが、立体的に飛び越えることは出来ません。平たい紙の上に書かれた四角い枠に閉じ込められると、その中からは出て来られないのです。
3次元は『立体』の世界・・・今私たちが認識できる世界です。
それでは、その数字がどんどん増えていくとどうなるか。
少なくとも私たちが考え得るのは『時間軸』か『空間軸』。
例えば、ある人が四角い部屋に閉じ込められていたとして、4次元を通り越すということは、『その部屋が形づくられる前』か、『部屋そのものが朽ち果てて無くなっている時点』に飛べばいいわけです。SFのタイムトラベルのようなことですね。
もしくは『空間軸』。空間そのものをねじ曲げて、部屋の中と外を直接繋げてしまう。ワープです。
というのが、科学的な観念の『多次元宇宙』です。(長いよ!)