平和を守る種『無我』
『自分』と『他者』を分けて考えていると、それはやがて苦しみの種になります。
民族が違う、宗教が違う、性別が違う、職業が違う・・・そんなにたくさん区別していて、いったい何になると言うのでしょうか。
「社会主義」と「資本主義」は何故『対抗』し続けなければならないのか・・・これもずっと疑問に思っていたことの1つです。
どこの国も、自国は正しいと思いたい。どの人も、自分は常に正しいと思い込んでいようとする。
何年か前に、日本でもありましたよね。交通事故を起こして親子を死なせてしまって、それでもどこまでも自分の過失を認めようとしなかった元国家公務員が。
いわゆるエリート意識って奴かと思いました。
そして今も「社会主義の亡霊」や「民族主義の亡霊」が人々を抑圧し、殺戮し、飢えさせているではありませんか。
「軍事作戦」とか「正義の戦い」なんて言ってるけど、つまり人殺しと破壊でしょう?「防衛装備品」?武器のことじゃん!
エジプト政府も何故「検問所」とやらを開かないのか?同じイスラム教徒なのに何故助けない!私は非常に疑問に感じます。
おっと!もといもとい・・・
突き詰めて観れば、みんながそうした『不幸』になっている根本的ぬ原因は、それぞれが互いに『違う』と思っているからです。『違う』ものは理解出来ないし、しようとも思わない。
仏教の『無我』は、そうした過去や現在に存在している『こだわり』から全てを解放します。そして人はそれを知ることができる。人だからこそ知ることが出来るのです!!
実に『もったいない!』話です。
また、誰かこんなことを言った人がいます・・・
過去は変えられない。けれども現在と未来は変えられる!
・・・と。
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