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ルシャナの仏国土 警察学校編 1-3

一.ヴィクトル・ベッカー

 惑星市民条約機関が改めて惑星全土に共通する太陽暦を定めた年の十月十五日・・・

 カルタナの東にあるザクセン自治州タンネン市内、建築家のユルリッシュ・ベッカーと妻アンナの間にヴィクトルという息子が生まれた。
 ユルリッシュは、建築家として名を馳せていた。カルタナ全土のみならず、オルニアからも依頼を受けて出向くことがある。そんな時は、自らが設計した帆船で出かけたものだ。ヴィクトルは、そんな父の仕事ぶりを見て育った。

 ヴィクトル十六歳の時、ユルリッシュはザクセン自治州立図書館の仕事を請け負った。書架のところどころが高くしてある。
「お父さん、どうして書架の幾つかはあんなに高いのです?あれでは、みんなが本を取れません。」
 父親は言った。
「あそこは高くなければ美しくない。高ければ梯子を架けて取れば良いのだ。」
 ヴィクトルは、その言葉に違和感を覚えた。
「しかし、図書館は市民が身近に使うもの。外観よりも何よりも使いやすいほうが良いのではありませんか?」
「ヴィクトル、お前はまだ一人前ではない。ただ私の言う通りにしておれば良い。建物は美しくあらねばならぬのだ。」

 それから半年後、ヴィクトルは蓮の花が美しい人工池の傍を通りかかった。そこから見事な用水路が延びている。それは他ならぬルシャナがまだ特命参与になってすぐの頃に造った池だ。
(ルシャナ様・・・私は貴方のようになりたい。人のためになることをしたいのです。)

 四年後の冬、ヴィクトルが二十歳の時に、ユルリッシュは突然息を引き取った。脳梗塞だった。ヴィクトルは、葬儀もそこそこに、父が手がけていた仕事を引き継ぐことになったが、デザインを重視して設計されていた建物を最低限の手直しで使い勝手の良い造りに直すのに苦労した。だが、人々はヴィクトルの建物を賞賛した。
「やっぱり餅は餅屋だねぇ。さすがはベッカー先生の息子さんだわ。」
「先生は、良い跡取りをお持ちだった。惜しい方をなくしたな。」
 ヴィクトルは、父の意図を変えたことに罪悪感を感じながらも、結果的には人々が喜ぶ仕事ができることに満足するのであった。

 そんな彼にも、やがて結婚話が持ち上がる。相手は、左官工の親方イニャス・バルビエの長女マルカ。ヴィクトルとは幼馴染みの、少しぽっちゃりした女性だった。彼が仕事を始めてからはあまり会う機会がなくなっていたが、その親方が積極的にお膳立てをしたのである。
「あの子は太っているものですから、嫁の貰い手を探すにも苦労してるんでさぁ。坊ちゃんだったら、見てくれでなく気立てで選んでくれると、あっしは思ってます。」
 イニャスは言った。彼は長年ユルリッシュと多くの仕事をしてきて、家族ぐるみの付き合いだった。
「だけど親方、僕は彼女とは最近あまり会ったことがないですし・・・。」
「それなら、これからどんどん会ってやってくださいよ。毎日お昼を届けさせますから。ね?」
 父親は病気で失った二人の息子たちの分までマルカには幸せになって欲しかった。彼の見るところ、ヴィクトルが最も適任に思えたのである。
「だけども親方、一つだけ問題があるんですよ。」
「ほう?何です?」
「僕は、このまま父の仕事を継ぐつもりはないんです。もっと人の役に立つ仕事に変わるかもしれない。そしたら貧乏になるかもしれない。それでも構いませんか?」
 イニヤスは彼を見て微笑み、やがて笑い出した。
「なーんだ、そんなことですかい。坊ちゃんなら、大丈夫ですって。・・・坊ちゃん、あっしはねぇ、坊ちゃんのお人柄を見込んでるんですぜ。なぁに、うちの子はちょっとやそっとでどうかなるような仕込み方はしてやしません。坊ちゃんとうちの子がその気になってくれさえすりゃ、それでいいんです。」

 春の日の昼過ぎ、ヴィクトルは、マルカをそれとなく工事現場の近くの公園に連れ出した。
「君は料理が上手だね。君の手料理を毎日食べていたいよ。君は、どうなんだ?僕のことをどんなふうに思う?」
 彼は、マルカに優しく尋ねた。毎日手作りの弁当を持って来てくれる彼女に、心を寄せ始めたのだ。
「どうって言われても・・・。ヴィクはヴィクだし・・・。でも、お弁当を残さず食べてくれるのは嬉しいかしらね。」
 マルカは少しはにかみながら言った。俯きがちな一八歳の娘の表情は、ヴィクトルには初めて見せる顔だった。
「なら、こうしたら、どうかな?」
 ヴィクトルは、マルカの唇を盗んだ。彼女は動かなかった。顔が真っ赤になっていた。二人の手が互いの背中に回る。その時マルカは、思いもかけない言葉を口にした。
「ヴィク・・・。今まで言えずにいたけど、実は私ね・・・ずっと貴方に憧れてたんだ・・・。だって、私の周りで、私を相手にしてくれる同世代の男の人は、貴方だけなんだもの。」
「マルカ・・・それじゃ!」
 ふた月後、二人は結婚した。

 しかし、二人の間には子供は出来なくなってしまった。一度は妊娠したものの、流産して医師からもう子供は産めないと宣告されてしまったのだ。子供好きで、大家族を夢見ていたマルカは、たいそう悲しんだ。
「ヴィクと大勢の子供たちで、賑やかな家庭を作りたかったのに・・・。」
 ヴィクトルは、妻を慰める。
「マルカ、もし君さえよかったら、恵まれない子を引き取ってもいいんだよ。親子三人、食べていくくらいは何とかできそうだからね。」
 実際、彼の仕事は軌道に乗り始めていた。使いやすい建築は徐々に評判を得ていた。彼もまた父と同じように、カルタナのみならずオルニアにも出張する生活になった。

 そんなある日・・・。
 ヴィクトルはオルニアの南西部にあたる海沿いの港町で、子供たちが海岸線にある学校で学んでいるのを目にした。町は比較的大きな湾の奥まった場所に位置している。
「あの、もし・・・。学校が何故このような危ない場所にあるのですか?」
 訊かれた町民は、きょとんとしている。
「何故って・・・そんなこと言われてもなぁ。昔からここにあるんで。すぐに泳げるし。」
 ヴィクトルは、すぐに町長に掛け合った。
「あそこでは、もし津波が来たら危ないですよ!もっと高台に作らないと子供たちが危険です!」
 町長は言った。
「だが、町には予算がないんだ。それに、津波が来るとは限らんだろう。」
「それじゃ、お金があれば、学校を高台に移転してもいいんですね?」
「そりゃ、まぁ・・・。でも、そんな金、どこにあるんだ?」
「僕が工面します!それじゃ、いいですね!僕は建築家です。設計は任せて、町長さんは大工さん達を集めてください。」
「でも、あんた、なんでそこまでやってくれるんだ?何か目的があるんじゃないのか?」
 町長は疑りだした。みすみす何にもならないこんな町に金を出す者など考えられない。
「目的は、子供たちの安全です。命は何物にも替えがたい。僕には子供がいません。これからも出来ません。だから、少しでも子供たちを守りたい。お願いします!許可して下さい!」
 町長は、彼の熱意に負けた。それに予算がない町に新しい学校ができれば、結構なことじゃないか。
 ヴィクトルは、町の大工達を集めて設計図を見せた。費用は全て彼の持ち出しだった。

 新しい学校は高台に建った。小さな町には大きすぎる規模で、そこへの道も広くとってあった。
「さて、学校は何と名付けるかね。ヴィクトル学校か?」
 町長は言った。
「いえ。僕は何も要りません。・・・でも、町長さん、これだけは約束して下さい。もし大きな地震が起きたら、すぐに学校に避難するように、皆さんに伝えると。」
 彼はそのまま去った。

 それから三年後、地震が起きて津波が町を含む一帯を襲った。だが、その町の住民たちだけは学校に避難して全員無事だった。支援と慰問に来た若き皇帝・紫政帝は、町長を褒めた。
「よく犠牲者を出さずに済んだな。」
 町長は、皇帝にヴィクトルのことを話して、こう言った。
「この町が救われたのは、その若い建築家のお陰です。お褒めの言葉は、彼にお願い致します。勇気ある建築家、ヴィクトル・ベッカーに。」

二.新しい家族

 惑星ルシア全体が「惑星市民条約機関」のもとに王制から皇帝制に移行されて二五年後、オルニアでは初代皇帝の子・田所昭(あきら)が即位して紫政帝と号した。
 大地震が発生したのは、その二年後だ。紫政帝は、直ちに緊急対策本部を設け、大陸全土から緊急救助隊、医師や支援物資を手配して自ら陣頭指揮を採っていた。一帯は、地震で家屋が倒壊したり、津波に流されていたりして、まるで跡形もないような状態だった。

 ヴィクトルが呼ばれたのは、その緊急対策本部の処理がある程度終わって、当該の県庁に権限が戻ろうかという時節であった。
「ドクター・ベッカー、よく来てくれた。」
 紫政帝は言った。皇帝もまだ若い。もしかするとヴィクトルと年はあまり違わないのかもしれない。
 ヴィクトルは皇帝と同じテーブルに案内されている。皇帝と謁見するとなれば跪くのが普通だが、それが違う扱いをされているのは、おそらく自分がオルニア国民ではないからだろうと彼は思っていた。
「此度の地震は、我が国においても甚大なる被害をもたらした。だが、貴方のお陰で、数多くの尊い命が救われたと聞く。心より礼を申す。」
 紫政帝は謝意を述べ、頭を下げた。ヴィクトルを同じテーブルに案内させたのは、心からの感謝の意を伝えるためだったのだ。
「数年前の学校の建築費はオルニアの総意として支払わさせてくれ。少し上乗せさせてもらうつもりだ。
 そして、できれば是非とも復興のために、力を貸してもらいたいと思っている。この一帯を災害に強い街づくりの模範としたいのだ。その際も報酬は別途支払う。頼めないだろうか?」
 ヴィクトルは快く引き受けた。誰かからの依頼があってもなくても、もとより彼は復興のために、何かしたいと思っていたのだ。
 しかしその際、皇帝があまりにもいろいろと尋ねてくるので、とうとう自分たち夫婦にはもう子供が出来ないことや、そのことで妻がとても悲しんでいることまで話すことになってしまった。
「どこかで、恵まれない子を引き取ろうかと思っております。」
 と、彼は言った。紫政帝は少し考えてから、何やら侍従に指示した。しばらくして、先ほど席を立った侍従が一歳くらいの男の子を抱えて戻ってきた。紫政帝は、自らその子を抱え、ヴィクトルに受け取らせた。
「この子は、別の村で保護されて、ここに来た子だ。残念だが、身元が不明でね。私が連れ帰ろうかと思っていたのだが、よかったら、君が育ててやってはくれまいか。」
 男の子は、ヴィクトルの顔を見て笑った。なんて可愛いんだろう・・・ヴィクトルは心からそう思った。
「紫政帝陛下・・・。この子は、私を見て笑っております・・・。本当に引き取らせていただいてよろしいのですか?」
「頼んでいるのは、私のほうなのだがね。
 ただ、この子は本当の名前も分からない。わかっているのは、その上着の一部に天秤の絵が縫い付けられているということだけだ。量り屋の子か・・・。あるいは弁護士の子という可能性もあるが。」
 弁護士は、公平を期すという意味を込めて、しばしば天秤を印に用いることがある。
「天秤ですか・・・。」
 紫政帝は、ひとつの名前を口にした。
「その子の顔立ちや服装から見て、旧総典王国領内の子だとは思われるが、とりあえずマコトと名付けてある。」
「マコト・・・。」

 男の子をカルタナの家に連れて帰ると、マルカはたいそう喜んだ。なかなか離そうとしない。
「たまには僕にも抱かせろよ。その子は僕の子でもあるんだからさぁ。」
 ヴィクトルがそう言って取り合いになった。
「だめだめ。まだお父さんには任せられませんよーだ!ねーぇ、マコト。」
 マルカは、笑いながら子供をあやした。
「マルカぁ!頼むよーぉ!」
 周りの人々は、そんな親子を微笑ましく見守った。

 ヴィクトルの一家は、紫政帝の希望で、オルニアの首都・湯井岡市内から二〇里ほど西にあるカルタナ人居住地域・笠塚市に移住した。
 被災地の街づくりには、数年かかると思われたし、オルニアからは他の六大陸と行き来する航路が整備されていたため、彼にとってもそのほうが都合が良かったのだ。
 そのうちに、彼は誰からともなく『環境設計家』と呼ばれるようになった。自然を生かし、人にも優しい街並みを造る・・・その姿勢と有効性はとても好意的に評価され、彼の名はオルニア全土に知られるようになったのである。

 翌年、彼はライランカ人が多く住む中山地域の整備を依頼された。
 そこで、一人の赤子と出会う。その子は、五〇歳くらいの女性に抱かれて移動しているところだった。親子にしては年が離れすぎているので、話しかけて事情を尋ねると、女性は町の保健婦で、その子の両親と兄が事故で亡くなり、女の子はこれから孤児院に連れて行かれるところなのだという。
「もしよろしかったら、私にその子を育てさせてくれませんか?私はヴィクトル・ベッカー。環境設計家です。」
 保健婦は、改めてよくよく相手の顔を観察した。その環境設計家の名は知っている。顔を見れば、確かにあの著名な設計家本人のようだ。本当は子供たちのためには、優しい里親を探して育ててもらったほうが良い・・・。
 保健婦は、ヴィクトルを保健所に案内して、所定の手続きを済ませてから、藍色の髪をしたその女の子を預けた。どうやら純粋なライランカ人らしい。
「ドクター・ベッカー。どうかこの子をよろしくお願いします。名前はイリーナです。」
 ライランカ人か・・・。
(ヴィクと大勢の子供たちで、賑やかな家庭を作りたかったのに・・・。)
 マルカの言葉が、彼の頭をかすめる。
 そうだ、各国から一人ずつ子供を集めて、僕の技術や考え方を世界各地に広めよう。環境保護と世界平和、人類の未来のために・・・。
 彼は世界各地を巡って、オルニアとライランカを除く五カ国の孤児院からそれぞれ一人ずつ子供を引き取った。

 ただ、ウユニの孤児院から女の子を引き取った時には、高官との交渉を強いられた。ウユニの衛生福祉局長官シャーリプが、自国民の子を国外に出すことを渋ったのだ。
「我が国の国民は、その特徴ゆえに他国では差別を受ける可能性が高いのです、ドクター。」
 彼は悲しそうに言った。
「見たところ、子供たちは普通のようですが・・・。」
「子供の頃は何もありません。しかし、その身体は大人になる時に変化するのです。だいたい一五歳か一六歳頃ですが。」
「それでは、その頃までは良いのですね?きっと独り立ちが出来るまでに育てますから。私が子供たちを集めているのは、私の環境設計の技術を広めるためなのです。お国の人たちの為にもなんとかお願いします。」
 シャーリプは、ヴィクトルの心を覗いた。彼は類い希なる読心能力の持ち主だったのだ。
「分かりました。貴方を信じましょう。孤児院にいる子供の中から、最も賢い子を託します。くれぐれもよろしくお願いします。」
 そしてムームという女の子が選ばれた。

 そうして、両親と七人の子供たちはひとつの家族として仲睦まじく暮らすことになった。以下に、その七人の子供たちの出身国と名前を記しておく。

    穀倉地帯・オルニアの    マコト(長男)
    森と湖の国・ライランカの  イリーナ(長女)
    海洋貿易国・カレナルドの  ダン(次男)
    音楽の国・カルタナの    ユルケ(次女)
    砂漠のオアシス・マクタバの ホルス(三男)
    科学技術立国・アルリニアの シャンメイ(三女)
    不可思議の国・ウユニの   ムーム「四女)

三.巣立ち

 子供たちの部屋には、積み木だの人形だの絵本だのがたくさん並べられている。しかし、散らかってはいない。散らかっていようものなら、ヴィクトルから厳しく叱られるからだ。
「使ったら、必ずきちんと元に戻しなさい。次の人が困るだろ。」

 ダンとホルスがふざけて追いかけっこをしている。
「こらーっ!待てー!逮捕するー!」
「やーだよっ!天下の怪盗ホルスが捕まるもんか!」
 イリーナが大人ぶって溜息をつく。シャンメイとムームは一緒に絵本を読んでいる。
「これだから男の子は嫌よね。どうして静かにしていられないのかしら。」

「まぁ、しょうがないじゃないか。遊べるのは今しかないんだ。」
 マコトが言った。
「なんで?」
 ユルケが尋ねる。
「もうすぐ僕たちは学校に入って、勉強しなきゃいけなくなる。父さんから、君たちはその他にもいっぱい勉強しなきゃいけないんだって、聞いてるんだ。そしたら、今みたいに遊べるかどうかわかんないんだ。」
「そうなんだ・・・。」
 マコトは、ユルケの手を引っ張ってホルスたちのほうに向かった。
「僕たちも遊ぼう!」
 その様子を、マルカは見ていた。

「ヴィク、本当にあの子たちに環境設計や剣術まで教え込む気?何だか可哀想・・・。」
「勉強は辛くなるかもしれない。でも、それが将来あの子たちや周りの人々を幸せにすることになるんだ。
 マルカ、その時には君があの子たちの心を温めてやってくれ。あの子たちは、きっと乗り越える。」

 ヴィクトルは、六年間は普通の勉強を、もう八年間は環境設計学を含めた高等学校レベルの学問を子供たちに教えた。

 剣術は家庭教師を付けた。紫政帝に頼んで、最高の剣術家を紹介してもらったのだ。
「実は、私は忍びの者です。」
 その剣術家・佐竹織部は夫婦に言った。ヴィクトルは、忍びが何かを知らなかったので、いろいろ質問した。

 忍びの者・・・。それは、あらゆる手段を講じて、偵察や情報操作、暗殺など、人の目に触れてはならない仕事を専門とする影の集団である。剣や槍、弓矢は言うに及ばずあらゆる武器や道具を駆使して任務を遂行する。故に、その存在は皇帝とごく限られた人間にしか知られていない。戸籍も作られることなく、あくまでも秘められた存在のままで一生を終えるのが最終的な使命なのだ・・・。
 しかし、その在り方は数年前に紫政皇帝が発布した解放令によって大きく変わった。全ての者が任を解かれ、戸籍も与えられて一般市民となったのだ。しかし、織部は普通の生活を選択することが出来ず、皇帝の元に残った・・・。

「つまり貴方は最高の剣術をお持ちであり、皇帝陛下直属の部下なのでしょう?それなら、子供たちの家庭教師には最高だ。どうかよろしくお願いします。」
「ありがとうございます。こちらこそご厄介になります。」
 彼は住み込みで家庭教師を務めた。

 子供たちには、本当に厳しい日々だった。学校のテストで九〇点以上は当たり前、それ以下だとヴィクトルの雷が落ちて、間違えたところを本当に理解できるまで復習させられる。さらに、織部からは剣術の稽古でしごかれる。高学年になると、ヴィクトルによる環境設計学の講義も加わった。
 だが、ヴィクトルは、子供たちに常日頃からこう言っていた。
「愛する子供たち。私がこうしていてやれるのは、君たちが一五歳になるまでなのだ。
 君たちが一五歳になった時、私は自分の意思に反してでもお前たちを手放さなければならない。
 だから、その時までに独り立ち出来るように頑張れ。自分の身は自分で守り、環境設計家として各国の皇帝陛下に仕え、その国の人々のためになる仕事が出来るようになっておくのだ。君たちなら、それが可能なのだから。」
 その言葉を聞く度に、子供たちは父親からとても愛されていることを感じ取るのだった。
 また、母マルカの手料理が子供たちには何よりも楽しみであったし、ウユニ人のムームは成長するにしたがって、心を読む力が増していた。彼女は、両親の心を読んで、他の子供たちに密かに伝えていた。
「お父さんとお母さんは、私たちを本当の子供と同じように思ってくれているわ。でも、一五歳になると、私の姿が変わって周りの人たちから虐められるかもしれないから。だから、その頃までには帰国させるって約束で私を引き取ったみたい。ごめんね、私のせいなの・・・。」
 泣き出すムームを、シャンメイが抱く。
「貴女のせいじゃないわ。・・・運命なのよ。」
 マコトが言った。
「手放すなら、みんな同時に、か。確かにそのほうがいい。父さんは正しいと思うよ。僕たちが頑張れば良いんだ。」

 母マルカは根っからの子供好きに加えて、とても明るかった。そして、誰かが熱を出したりした時には、つきっきりで看病したものだ。
 子供たちが概ね一五歳に達しようかという頃に、ムームが高熱を出した。一晩かけても熱が下がらない。二日目の夜、マコトが用を足しに起きて部屋の前を通りかかると、マルカがムームのベッドの横でうとうとしている。そこへ、ちょうど別の廊下からヴィクトルが入って来た。
 そのまま見ていると、ヴィクトルはムームの額に手を当てて様子を見てから、マルカの体に毛布を掛けた。
「すまないな、マルカ。ムーム、頑張れよ。こんな時に僕は君たちに何もしてやれん・・・。」
 マコトは、静かにその場から離れた。
(父さん・・・。母さん・・・。)

 ムームの熱は翌朝下がった。念のためにもう一日学校を休んだが、またいつもの猛特訓が始まった。
 しかし、どうも子供たちの様子が違う。より熱心に取り組むようになったようだ。さらに半月ほど様子を見てから、織部はその理由を訊いてみた。
「君たち、何かあったのかい?前より断然熱がこもっている。」
 ホルスが答えた。
「父も母も、僕たちを本当に思ってくれてますから。期待を裏切っちゃいけないんです。」
「君たち・・・。」
 イリーナが説明する。
「このあいだムームが熱を出していた時、母はずっと傍にいて、そこへ父が来て毛布を掛けたんだそうです。二人にすまないと言って。マコにいがそう言ってました。」
「はい。その通りなんです、先生。」

 その夜、織部はヴィクトルとマルカにその事を話した。
「そうか・・・。あれをマコトに見られていたのか。気がつかなかった。」
 ヴィクトルは照れくさそうに微笑んだ。
「でも、ヴィク。ムームはそろそろ帰さなくてはいけないのよね。他の子たちも・・・。」
 マルカは泣き出しそうな顔で言った。
「あぁ。もうぼちぼちその時かも知れん。・・・織部さん、子供たちの剣の腕はもう大丈夫ですね?」
「はい。剣術試験を受けたら、恐らく二級は取れます。特にホルス君は先が楽しみですよ。」
「本当にお世話になりました。皇帝陛下にどうかよろしくお伝えください。」
「かしこまりました。それでは。」
 織部は去った。

 織部がいなくなったことで、子供たちも親元を離れる時が来たことを悟った。
 マコトが子供たちを代表して言った。
「父さん、母さん。僕たちはもう行かなければならないのでしょう?ムームは心が読めるのです。父さんと母さんの心も読んで、僕たちに知らせてくれていました。だから、もう覚悟はできています。」
 ヴィクトルは静かに頷いて、子供たちひとりひとりを見つめた。
「その通りだ、マコト。まさかムームに心を全て読まれていたとは思わなかったが・・・。
 だが、君たちが優しく賢く強く育ってくれたことは、私たちにとっても幸せだった。私もマルカも、君たちを愛しく思っている。できればこのままずっと傍に置いておきたいくらいね。
 しかし、どんな出会いにも別れはやがてやって来る。・・・
 十日後、私たちはオルニアを発つ。その時には、マコト、先ず君がこの家から巣立つんだ。
 いいか、必ず幸せになれ!私は確かに君たちに環境設計家としての務めを託そうとしている。しかし、何よりも大切なのは君たち自身が幸せになることだ。いつか愛する人ができたら、その人を全力で愛し抜け!務めはその次だ!
 そして、忘れるな。たとえ離れて暮らしても、私もマルカも、君たちをずっと見守っている!」
 マルカが子供たちひとりひとりを抱きしめる。彼女も子供たちも泣いていた。

 旅立ちの日・・・。
「それでは、父さん、母さん・・・。今までありがとうございました・・・。」
「うん。気を付けてな。また会おう!」
「マコト。くれぐれも元気でいるのよ。」
「はい・・・。それでは。」
 他のきょうだい達とも抱き合って別れを告げると、マコトは湯井岡市の方へ歩いていった・・・。

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長編仏教ファンタジー「ルシャナの仏国土」第2編。 毎週木曜日更新。(全9回・2024/5/31に完結) 「覚者編」から千年後、新たに自然と…

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