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ルシャナの仏国土 警察学校編 13-15


一三.天才科学者と弟子


 「いやー、まだ暑いですな。」
 そう言いながら杖をついて食堂に入ってきたのは、周公沢である。紫政帝が紹介してくれた講師の一人だ。ただ、彼だけは実験時の事故の後遺症で足が少し不自由なため、訓練生という立場をとらず、科学を教えるのみということになっている。そして傍らには弟子の呉章英が付き添っている。公沢の身の回りの世話をしつつ、科学者の道を歩んでいる青年である。
「こんにちは、博士、呉君。」
 篤史は彼を『博士』と呼ぶことにした。公沢も同意している。
「何せ、もう年ですわ。今さら訓練なんぞとてもとても。」
「しかし、警察学校へは協力してくださる。」
 篤史は冗談めかして言った。
「そら大恩ある皇帝はんのご依頼とあらば断れまへんやんか。それに、たまには外の空気を吸うのも悪くはおへんから。」
 彼は弟子のほうをチラリと見て言った。

 篤史も公沢の意を察した。
「ときに、呉君は・・・やっぱり夢は科学省かね。まぁ、博士のこともあるからそのままでも構わないが。」
「はい、申し訳ありません。僕は科学者になりたいんです。」
「うん。無理強いはしないよ。ただ、科学だけじゃなくて、他の世界も見ておいたほうが、科学の世界の深層までいけるかもしれない、ということだ。君は、ただ我々を観察していればいい。」
 青年は頷いた。

 二人がこの国に帰化したのは八年前のことだ。
 基幹産業である農業の生産効率を上げるため、紫政帝はトラクターのための高機能モーターの開発を指示した。そのために招かれたのが公沢だったが、そのあいだに政治家だった叔父が失脚。比較的裕福だった彼の一族は一転して離散した。公沢も故国に帰れば何が起こるかわからない身の上になってしまったのである。
 紫政帝は、彼らの身を案じて帰化を勧めた。
「ここに籍を置けば、誰も君たちを狙う必要がなくなるが、どうだろうか。それに、どのみち、ものの開発には終わりがない。ここにずっと留まることになるだろうからな。」
「そうですなぁ・・・。ここに来るときも、ある程度の覚悟はしてきたはずやのに・・・。なんや愛おしい言うんか、未練みたいなものがありましてなぁ。でも、この子ももしかしたら巻き込まれるかわからんし・・・。仕方あらへん。お世話になりまひょか。よろしゅうお願い致します。」
 公沢は頭を下げた。
「僕のことはええんです、博士。」
 章英が言った。
 幼いときに両親と死に別れた彼は、親戚の家や施設を転々としながら成長した。人間というものにほとほと嫌気がさし、無機質で純粋な科学の世界にのめり込んでいった。
 公沢は、科学の純粋さに惹かれるという彼に、若い頃の自分を重ね見て、正式なアシスタントとして連れ歩くようになった。章英も公沢のずば抜けた科学的才能と大らかな人柄ゆえに、次第に打ち解けていった。今では心から信頼し、尊敬しきっている。(どこまでもこの博士について行きたい・・・)そう思っていた。
「おまはん、わしが死んだらどうするんや。」
 公沢も一度そう言ったことがある。
「わしにずーっとついてきてくれとるんは、ほんま嬉しい。だけどなぁ、歳から言うてわしのほうが先に逝くでぇ。おまはんはおまはんや。ちゃーんと自分の進むとこ、みつけなあかん。」

 どこからか、竹同士が激しくぶつかる音が聞こえてきた。
「なんや、すごい音しよるな。行ってみまひょか。」
 公沢に続いて章英と篤史が音のするほうへ行ってみると、武道場で二人の女性が竹刀でやり合っていた。
「腕はなまってないな、桔梗。」
「あぁ、おぬしもな。嬉しいぞ。」

 あとから入ってきた三人は、立ち会いの激しさ速さ、気合にたちまち圧倒された。人が入ってきたので、二人は竹刀を納めて向かい合って一礼し、近づいてきた。
「春野君だったか。すごい音がしてたぞ。」
 篤史が声をかけた。
「あ、加賀警視正。それに博士と章英さんまで・・・。響いておりましたか。申し訳ございません。こちら、同じく忍びの者で、今井はるかと申します。久しぶりゆえ、手合わせをしておりました。」
 亜矢がはるかを紹介した。
「ききょ・・・ではなかった、はるか、こちら、校長の加賀篤史警視正。と、科学者の周公沢博士とアシスタントの呉章英さん。」
「初めまして。今井はるかです。どうかよろしくお願いいたします。」
「君が今井君か。ソフィア警視から話は聞いてるよ。来てくれるのかな。」
「はい。お引き受けする旨、先程ソフィア警視にお伝えしたところです。」
「それはよかった。君のことも楽しみにしてるよ。よろしく頼む。」
「はい。」

(女の人やのに、あんなにすごい戦い方するんか。)
 章英は呆然と立ち尽くしていた。いや、武道の立ち会いそのものを見るのも初めてだった。彼が育った国では、スポーツはあまり盛んではなかったし、彼自身も学校の部活動になど全く興味がなかったからだ。
 たしかに違う世界、彼の知らない世界がそこにはあった。

一四.入学式


 惑星ルシアでは、一年は一二ヶ月、ひと月は四八日と決められている。これはルシアの公転と、アルム、イスカという二つの衛星がルシアの軌道上で交わる周期とによる。
 太陽暦六四年十月七日の朝十時、アイユーブ警察学校の校門が開いた。なお、入り口には立て看板があり、こう書かれていた。
 「太陽暦六四年度 アイユーブ警察学校 入学式
   最高レベルの警察官訓練生求む 脱落も覚悟の上で校門をくぐられたし」

 チャイムが鳴った。中から一人の男性が現れて、ややゆっくりしたテンポでこう言った。
「お集まりの方々、ようこそアイユーブ警察学校へ。私は校長を務める加賀篤史と申します。看板はもうご覧になったかと思います、警察官の訓練はそれでなくとも厳しいことで知られていますが、これからここで行われる訓練は、有能な講師たち自身も自分の専門科目以外は訓練生となり、切磋琢磨して、より高度な知識や技能を作り上げようとする新たな試みを目指します。よって、入学一年で巡査の資格を取れていなければ退学とさせていただく。それくらいの覚悟を諸君に求めます。・・・」
 会場にどよめきが起こった。どれほど高度で過酷な訓練になるのだろうか・・・。
「しかし、それを見事に成し遂げたとき、そこには最強の警察官たちがいてくれると、私たちは信じています。その日を目指してください。以上です。」

 普通の警察学校に入るつもりでここに来ていた人々の半数近くはその話の内容に驚いて去ったが、それでも二〇人ほどの人々が門をくぐり、ジェシカ・ティスードと神崎リュウも、別段おじけづくこともなく校内に入っていった。
(どんなに厳しくても、私は父さんの後を継ぐんだ)
 ジェシカはそんな思いでいた。
(警察官は厳しくて当たり前なんだ。そうでなければ人の命を守れやしない。)
 緑色の髪のリュウはこの仕事に就くことを決めたときから覚悟していた。

 希望者たちが全員体育館に入り終わると、程なくして先ほどの男性が壇上に上がった。ゆっくりと全員を見渡してから話し始める。
「先ほどは野外にて失礼しました。校長の加賀篤史です。こうしてこの学校の門をくぐられてきたからには、皆それぞれに警察官になりたいという強い思いや覚悟がおありの方々ばかりなのでありましょう。一人でも多くの方が立派な警察官となられるよう、講師一同、心を込めてご指導いたす所存であります。何か悩み事や辛いことがあった場合は、誰でもいい、遠慮なく話してください。訓練は厳しくとも 私を始めこの学校にいる人たちはみんなが志を同じくして集った同志、仲間、家族です。決して一人ではない、それだけは忘れないでください。」

 ジェシカはその時、篤史の瞳に温もりを感じていた。他の幾人かも同じだった。
 だが、次に進み出てきた人物を見て、少し驚いた。
「あら、あの方は・・・。」
 リュウも思わず呟いた。
「あれは・・・ライランカの・・・。」
 リュウの髪とは違う、紺碧の海の色をした髪。純粋のライランカ人のようだった。
「皆さん、初めまして。副校長のソフィア・レイジェスです。これから皆さんを男子寮と女子寮それぞれにご案内いたします。今日は荷物を置いて、夕食までゆっくりしておいてください。明日からは規律正しい生活になりますから。」

 各々が部屋に入るとき、ソフィアは生活の規則を書いたプリントを手渡しした。起床時間や訓練内容やスケジュール、週末は自由時間があり、アイユーブ市内であれば外出も許可されることなどだ。
 やがて、リュウの番が来た。
「はい、あなたも。・・・あら?その髪は?」
「僕は、母がライランカ人なんです。母はタカユヤ州の出身ですが、今はオルニアで警察官をしています。」
「あぁ、そうなんですね。わかりました。よろしくお願いします。期待していますよ。」
「どうかよろしくお願いいたします。」

 そのあとから、見覚えのある顔が見えた。
「あら、あなたは。来て下さったのね。」
「はい、でも、とても厳しいみたいですね、果たして僕がなれるかどうか分かりませんけど。」
 それは、広場で似顔絵描きをしていた藤原景時だった。
「大丈夫。あなたならきっとなれるわ。」
「ありがとうございます。頑張ります。」

 最後にジェシカが女子寮の部屋に案内されたときには、ソフィアは少し疲れた様子だった。無理もない、二十人ほどの人々を相手に、ひとりひとり話しかけながらプリントを渡してきたのだ。
「失礼ですけれど、お疲れなのでは・・・。」
「ありがとうございます。正直疲れました。でも、生徒さんを少しでも知っておきたくて。それも務めですから。」
「ご自分にお厳しいのですね。私の父も警察官でしたから、警察学校の内容は聞いていました。でも、ここはきっともっと厳しいのでしょう。あなたのもとで行われる訓練、楽しみになりました。」
「お父様は今?」
「亡くなりました。癌でした。」
「そう・・・。聞いてはいけないことを聞いてしまいましたね。ごめんなさい。」
「いいえ、いずれはお耳に入ることですから。どうかお気になさらないでください。そして・・・どうかお休みください。あとは自分でやります。」
「ありがとう。それじゃ、お休みなさい。」
 彼女の観察眼はなかなかかもしれない、とソフィアは思った。常にすべてのものを観察する力、それは人として大切なことのひとつだ。

一五.環境設計学


 講義は、篤史による「環境設計学」で始まった。
「諸君は、何故警察学校で環境設計学を学ぶのか、不思議に思っているでしょう。でも、それには理由があるのです。」
 篤史は、こう切り出した。以下、彼の講義内容である。

 警察官は普段、治安維持や市民の安全確保の為に活動する。
 そのとき、自分が活動している土地の特徴、すなわち地の利を熟知していたほうが仕事は格段にやりやすくなる。また、大規模災害の際には、人々を安全な場所まで誘導することも任務となる。例えば、地震が起こったとき、津波を想定して、できるだけ高台へと人々を誘導すること、これを瞬時に判断しなければならない。それが、環境設計学を学ぶことの意義である。
 また、他の業務においても、その意義は同じで、必要不可欠なものだから、一人でも多くの人に知っておいていただきたい。

 この世に「絶対」はない。
 形あるものも、目に見えないものも、時を経ればいつかその形を変える。
 絶対に安全と謳って作られた防波堤であろうとも、やがては朽ち果て、建て直すか波に壊されるかのどちらかになる運命だ。

 決して「自然」を甘く見てはいけない。どんな大きな船もひっくり返し、山崩れは村や町をいとも簡単に呑み込む。そのとき、我々は為す術もなく自然の営みの大きさを目の当たりにするのである。

 しかし、そうした中で人は団結し、助け合い、知恵を駆使して、共に生きていく。「人」とは、それができる生き物なのである。たとえ家族や友人、親しい人々と別れてしまったとしても、「思い出」として胸にとどめておくこともできる。それが人間の素晴らしさではないだろうか。

 実例で、こんな話がある。
 海辺にほど近いところに、小さな村があった。
 山の中ほどに 「これより下に人住むべからず」という碑が建っており、人々は理由を分からないまま、その通りにして、その碑から下には田畑しか作らなかった。
 あるとき、大きな地震が村の一帯を襲った。周辺の村々は津波に呑まれて、多くの犠牲者が出たが、石碑の村の人々は全員が生き残った、とのことだ。
 石碑を建てたのは、村の遠い祖先だったと思われるが、このようなことが環境設計学を学ぶということである。

 自然と共存しながら、または地の利を活かしながら、人々と親しく共に生きていく・・・それを「幸せ」と呼ぶのではないだろうか。
 しかるに、そのような、愛すべき人々を守ることこそが、我々警察官の使命である。

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