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物心ついたときからずっと何かしら書いています。

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何もしないこと

 最近は自分のルーティンから出て「何もしない」ことが起こっている。 ただその枠から出る。そして空いたところに何も埋めない。  そうすると小さい頃からの習慣で体力がある限り予定や、新たにやることを作り出していたことに気づく。へとへとになるまで何かをやることに昔の自分は執着していたようだ。  何もしないとなると今度はソワソワとしてくる、ということは私は元気なのだ。  別に誰にも言われていないのに、何かを頑張り続ける私。そんなキャラクターをメインに据えていた頃はもう昔。  もうすぐ

    • 秋の夕暮れに。

      • 無言の友人の使い方

         先日ある体験をしてそれを日記に書いた。すると目から鱗のことがあった。  体験している時は、自然と主観的にその出来事を感じていて 「これってこうじゃないか?」 とか瞬間的に感じることが主だと思うのだが、それらを書き起こしてみると 「この状況は客観的に見ると実際にはこうだったのか!」 と別視点での気づきが起こった。  つまり私はこの出来事を何か勘違いしていて書き起こさなければ自分にとってマイナスに記憶されてしまうところだった。 本当に良かった。

        • 私の人生においては

           いろんなコンテンツに溢れる時代。本の他にも情報がわんさかあって迷いそうなもんだが結局「参考程度」なのだ。  そう捉えると身の回りの情報に振り回されない。  私が情報を得ようとして触れたとき、最終的にそれが自分に役に立つかは万にひとつあれば良いと言うほど、ほとんど「参考材料」で、情報を得るいうよりはその情報空間にいる間にそれに関して内省することが大半だ。その空間にいるほど、普段思いつかないことが浮かんだりとか、逆に家にいるときは全くそんなアイデアが浮かばずにダラダラしたりする

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          カフェ

          自然な自分へ還る

           最近なんとなくFacebookの中を見てみたら、学生時代を共にした仲間の名前を見つけた。  随分前に断捨離を徹底的に尽くした私はもうその頃の写真や手紙、思い出の品などはすでに無くそれでも名前を思い出せることはいわゆる「昔のことが昨日のことのように感じる」現象の一環だなと感じた。  当時は思春期ならではの問題にヤキモキしたりして閉塞感の中にいたからその価値に気づかなかったが、今はそれが大切な時期だったとわかる。  損得勘定でも利害関係でもなく、ただ純粋に動いていた自分。その頃

          自然な自分へ還る

          偶然の再会

           偶然の再会が続いている。  先日人との再会があり、今日は本との再会だ。驚きはこちらの方が大きい。  何となく立ち寄った馴染みの古本屋。  背表紙の群れを眺めていると、覚えのあるタイトルに思わず手が伸びて中をめくる。文字に線が引いてある。さらにページを進めると記憶が蘇ってきた。 「これ私の本だ!」  昔この店に売った本だったのである。版数を見ると今から10年くらい前だ。その割には小綺麗な印象だった。  わたしは不思議な気持ちでまたこれを買い、この体験を今こうして書いている。

          偶然の再会

          まったり

          まったり

          メガネを外して気づいたこと。

           私は普段メガネを掛けている。けれど昨年末あたりから必要以外は外すことを心がける生活をしている。  視力は中学に入ってから矯正する必要があり、そこからコンタクトや眼鏡のお世話になってきた。社会人になってからこれだけ本格的に「メガネを外す」ことを意識したのは初めてだ。  外す生活をはじめてから、自分にとって大切なことに気がついた。  「私は視ようとする力が強い」ということだ。  それは私の主観だけでなく、視力検査時にスタッフの方に毎回そう言われてきたのもある。  その通りに私は

          メガネを外して気づいたこと。

           今日久しぶりに長い時間地元の道を歩いた。地元ということもあって、今と昔の風景の違いを感じつつ、街の進化も感じていた。  こういうところを通ると強制的に、私は思い出に浸るモードに移っていた。 「あの頃この選択をしたから今がある」 「また別の選択をしていたらどうなっていたのか」などいろんな感情が巡ってきた。  しかし結局のところ、あの頃決断した際の「環境」「情報」「流れ」に基づいてほとんど自動的に人生の決断は為されると今の私は感じている。  後になって「あの時こうしていれば‥」

          お気に入りの風景

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