いい意味で「未来に期待しない」という選択
好きで続けてきた文章を書くことを仕事にさせてもらったり
物事を分かりやすく咀嚼して伝えるという特技を脚本を書くという仕事の形に変えてもらったり
小学校で英語の先生をさせてもらったり
幼稚園でも英語劇のアシスタントをさせてもらったり
ゴスペルに出会って楽しく歌う時間が持てたり…
これらは全てこの半年くらいで起こったことたちで、
どれも
やってみたかったこと
やってみたかったけど過去諦めたこと
やれると思ってもみなかったこと。
不思議なほどにたくさんのありがたいご縁に恵まれて、忙しいけど、忙しいと感じないくらいとてもとても充実している最近。
これらのやりたいことに加えてフルタイムの会社員してて、手のかかる1歳、5歳のおチビもいて笑
とってもカオスだけど家族の助けがあってありがたいことにやりたいことが全てできています。
物事がうまくいってる時、以前だったら無意識のうちに
「残りの人生ずーっとこんなふうに充実して、幸せだったらいいな。」
という期待を抱いていました。
だから期待したような充実感や幸せが手に入らなかったとき、
ひどく落ち込んでメソメソしたり、
なんとか事態を好転させようと変に足掻いて空回ったり、
今ある充実感にしがみつかなければと執着したりしていました。
でもよくよく考えると、期待するから期待外れだったときに落ち込むんだよなぁって。
平均寿命で考えたら、あと53年、19,345日くらい私は生きるわけで。
約20,000日生きると思ったら、20,000日ずーーーっと充実してて幸福な日しかないわけないなって。
苦しくてしんどくて逃げ出したくて何もしたくないみたい日だって、これから当たり前に数百~数千日はある。必ず。
なのに「これからずっと幸福な日々だけが続くんだ!」という期待を抱くことで、
なんでもない普通の日なのに、「思ってた幸福な日じゃなかった」とケチがついたように感じたり、
「もっと充実させなきゃ、もっともっともっと…」と終わりなき最上の幸せを追い求めたりするようになる。
それって勿体無いなって。
いい日も、普通の日も、悪い日も
これから20,000日生きてく中には数百日、数千日ある。
「とりあえず、今日はいい日。ありがたいな。」
そう思っとけばいいんじゃないかなって。
悪い日を減らそうとか、良い日を増やそうとか
そういうことを考えるだけ勿体無い。
それがそのまま期待値になり、
執着になっていくから。
決して後ろ向きな意味ではなく、
一つの前向きな選択として、
未来に必要以上に夢を見ない
期待や希望、展望を抱かずに
今この瞬間の充実感を十分に噛み締める
そういう選択をしてみたら、
焦りや不安や、執着がなくなって
すごくすごく楽に生きられるんじゃないかなーって。
もちろん目指す夢があるなら、未来を夢見たっていいし、
仕事では未来を描かなきゃいけないこともある。
でも、前向きに、
未来を夢見ず期待をせずに
今の瞬間を生きる
という選択肢だってあったって
いいんじゃないかなって思ってます。
一貫性がなくなって、
将来の展望が見えなくたって、
そういうハッピーの形もあるんじゃないかなって。
そう思うようにしたからか最近は失うことやうまくいかなかった時のことをあまり恐れすぎずに、
今やりたいことに飛び込めるようになりました。
ありがたいって、有り難いんだよね。
いっつもいっつもいい日なわけじゃないから、有り難いからありがたいんだよね。
そう思っとくようにしたら、いい日が続かなくっても「そんなもんそんなもん!」って思えるかなぁって。